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民明書房


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No.51    コンビーフたん

混媚畏怖丹(こんびいふたん)

古代中国は秦において、野咲(やしょう)という名医がいた。
あるとき難病の者がきたが、治すのは困難ということを悟った彼は痛み止めとして牛馬の肉を使った丹(錠剤)を与えた。
しかし麻酔薬として混合した麻沸散などの量が多すぎたためか、
それを飲んだ患者は「なまめかしさ」と「おそろしさ」の混じった味に病み付きになり、廃人のようになってしまった。
周りの人々はこの薬のあまりの中毒性の強さに恐れおののき、
これを「混媚畏怖丹(こんびいふたん)」と呼んで後世まで語り継いだという。
また、患者の妻は夫を廃人にした薬を「奴隷にするために贈られた」、つまり「奴贈(どぞう)された」と決め付け、
野咲に向かってこぶし大の石をいくつも投げつけ殺してしまったことも忘れてはならない。
なお、現在あるインターネット掲示板で話題になっている
コンビーフをドゾーして投げつけると言う女の子は多くのファン(中毒者)を得ているが、
彼女が野咲を殺した妻の末裔であるかどうかは定かではない。

民明書房刊『薬学・ブルブル(上巻) ~起朝篇~』より

No.52    ケミカルアンカー

「気身軽按火(けみかるあんか)」

中国は漢末期、皇帝は重病に伏し、いかなる名医も治すことが出来ずにいた。
あらゆる手段を試みるなかで、舞霊駆(ぶれいく)師である萬爺(まんじい)
にも声がかかった。(舞霊駆とは死霊、精霊などを操るとされた術である)
萬爺は子血留放流(すちるほうる)や魂腑裂鎖(こんふれっさ)といった
舞霊駆を駆使したが結果は芳しくなく、最後に按火(あんか)の術を試みる。
按火は燃えさかる炎の中に身を置き念じることによって、病気の原因とされた
悪霊を退散させるという、舞霊駆の中でも危険な術である。
萬爺の按火は熾烈を極め、その「陀!陀!陀!」という叫び声は
大地を揺らすほどであったというが、その甲斐あってか皇帝は快方へと向かった。

病床から回復した皇帝が「身も心も軽くなった」と言ったことから、
この按火は後に「気身軽按火」と呼ばれるようになった。
また萬爺はその功績を買われ、皇帝お抱えの医師であるところの
「織魂弐弐医(おりこんにじゅうにい)」に任ぜられたという。

現代では廃ビルの解体などに使用される「ケミカルアンカー」は、
悪しきものを滅する術である気身軽按火の意味が時代を経て変遷し、
破壊手段、解体手段の一種として伝えられているものである。


民明書房刊『一役買うためのテクニック』より抜粋

No.53    ソニックブーム

素肉武生(ソニックブーム)
晋代の中国、ひたすら拳を磨いていた武道家達が、
生身、即ち素の肉体のみを駆使して編み出した奥義。
この奥義を極めた者は、ある者は大地を切り裂き、またある者は海を割ったと言う。
これを見た時の皇帝が「素肉で何という武を生むのだ」と感嘆した事から
この技が「素肉武生」と呼ばれる事となった。
なお、今日で言う「ソニック」の語源がこれである事は、
戦闘機が空を切り裂くように飛ぶ姿を見ても一目瞭然である。

太公望書林『衝撃の衝撃波』より抜粋

No.54    ゲームヲタク

解医無追多狗(ゲイムヲタク)

古代中国において、男達の遊戯といえば、主に肉体で競い合うものであった。
しかしこれでは医者が幾らいても足りないため、解医無(ゲイム)という、振素手(フレステ)とか
取滓(ドリカス)と呼ばれる操作機を用いて、木枠の中の仮想世界で遊戯する機械が考案された。
しかし、あまりにこの遊戯に熱中しすぎて、解医無脳(ゲイムのう)という、痴呆症と同じような状態になる
者が後を絶たなかった。彼らは解医無を追う事多い狗(イヌ)、すなわち解医無追多狗(ゲイムヲタク)
と呼ばれ、仮想世界と現実世界の区別が付かず、全てにおいて自己中心的であったため、彼らが素礼建
(すれたて)の儀式に入ると、どんな素礼でも仕切られてスレが糞にまみれたという。
ちなみにゲームヲタク(略してゲーヲタ)とはこの解医無追多狗から来ていることは言うまでもない。

民明書房刊『解医無脳の恐怖』より

No.55    スレ立て

『素麗建(すれたて)』

古来、中国では「敬磁万(けいじばん)」という娯楽が盛んであった。
また、その頃より「素麗努(すれっど)」の頂点に立ちたいという野望に燃えた豪傑達による「素麗建(すれたて)」なる競技が開発された。
素麗建を行った者には、「利酔素麗(りょうすれ)」又は「苦粗素麗(くそすれ)」という称号が与えられた。
利酔素麗となった者はどんなに身分の低い者でも生涯英雄として扱われ、その暮らしに不自由する事はなかったという。
苦粗素麗となった者は生涯家畜同然の扱いを受け、民衆からのあまりの批難により自ら命を落とす者も少なくなかった。

またこの時中国では、連続して素麗建を行いすぎて外へ出なくなるという「非気蝙蝠(ひきこもり)」という病が多発し、
中国全土に多大なる危機的影響を与えたという。
この状況を重く見た時の皇帝が、この非気蝙蝠による素麗建を禁じた「悪苦禁(あくきん)」という話はあまりにも有名。

ちなみに現代の掲示板によるスレ建てがこの「素麗建」から来ているという事は言うまでもない。

民明書房刊「中国娯楽大観」より

No.56    ぬるぽ・ガッ

「怒瑠砲/牙津(ぬるほ/がつ)」

中国は元の時代、国土拡張を目論み周辺諸国への侵略を行っていた。
なかでも日本を攻めたものを日本では元寇と呼んでいるが、
その際に使用された艦載兵器が「怒瑠砲」である。
怒瑠砲は船首に固定された投石器から西瓜大の瑠璃(ガラス)を
打ち出すもので、その威力たるや凄まじいものであった。
怒瑠砲を驚異とみた日本側は九州北西部の湾岸に対怒瑠砲用の
防壁を建設。超大型の槍状のものを海に向けて並べて突き出し、
怒瑠砲から放たれた瑠璃を未然に海に突き落とすもので、
その形状が獣の牙のようであったことから「牙津」と名づけられた。
牙津は絶大な効果を発揮し、元寇が失敗に終わった主因とされている。

なお、現代にインターネット上で「ぬるぽ」と書き込まれた際に「ガッ」と
(殴るなどの描写を添えて)返されるのは、この名残りであるのは言うまでもない。

民明書房刊「神風吹いても桶屋は儲からない」より抜粋

No.57    ドリフト

怒離埠頭【ドリフト】

 かつて、清の時代、国内において荒くれ物の犯罪者ばかりを集めた港が有ったという。
 そこにおいて荒くれ者の犯罪者たちは何ら改心の様相も見せず、ただただ力ばかりを競ったといわれる。
 時の港の管理者槌矢系壱(つちやけいいち)はこれに心を痛め、一計を案じた。
 そこで彼は、犯罪者たちにこう命令したといわれる。
 
 「怒」を「離」し「埠頭」に自らの花を咲かせよ、と。
 
 この一言から犯罪者たちは自らの仕事に磨きを掛けることに専念し、いつしか仕事の方法は美しく、洗練されたものへと進化していった。
 やがて仕事の方法は力任せながらもすばやく、時に台車を横滑りさせながらも荷物を落とさず運ぶ方法――――
 即ち現代における「ドリフト走法」と呼ばれるものと何ら変わりが無くなっていったと言う。

 現代日本でも、一部の若者が「埠頭」を「ドリフト走法」で駆け抜けるのはこの事がルーツとも言われる。

 
 民明書房刊「古代中国流刑地記外伝、港湾最速伝説」より抜粋

No.58    RO

『 嗚呼流黄(ああるおう) 』

古代中国。魯(ろ)の国の役人、牌仁(はいじん)は読書を多いに好み、寝食を忘れる程であった。
しかし、書を読み、学識を高めるまでは良いものの、
当時の腐敗した政治において、彼は讒言を受けて
その力を生かす事なく役人の地位を追われてしまった。
途方に暮れた彼は黄河を見て涙を流し、
「嗚呼流黄河、我之精渇ス。」(ああるおうが、われのせいかつす)
(訳:ああ、黄河の水は尽きることなく流れるが、私の精力は枯渇してしまった。)
と悲嘆し、流れゆく黄河に身を投げたという。
この故事から、努力が報われない時に「嗚呼流黄」と叫び、
嘆きの感情を表すようになったのである。
ところで現代において、オンラインゲームに寝食を惜しむ程のめりこむ人物を廃人と呼び、
そのオンラインゲームの一つにROと呼ばれるものがあるのは偶然の一致なのだろうか。

『民明書房刊「人生是遊戯」 より』

No.59    バレンタインデー

刃錬田陰泥(ばれんたいんでい)

戦国時代末期。
激化する諸国の争いのため、刀匠たちはよりよい刀を打つことが求められていた。
刀の斬れ味は、鉄を精製するための窯の材料である『泥』に大きく左右される。
特に、水田の日の当たらない部分の泥は非常に良質であったため、
「刃を錬成するための水田の日陰の泥」すなわち『刃錬田陰泥』と呼ばれ、
刀匠たちはこぞってそれを求めたという。
なかでも名匠・子麗は、『刃錬田陰泥』を千の夜を費やして採集し、
さらに二カ月と十四日もの長い時間をかけて名刀・千夜子麗刀(ちよこれいとう)を鍛えあげたことで知られている。
現在の『バレンタインデー』がこの故事が元となって生まれたことはあまり知られていない。

民明書房刊「甘味にまつわる刀匠の愛」より

No.60    ちんぽヘリ

『珍歩兵李画騎太象 (ちんほへいり) 』

戦国時代にはさまざまな将兵たちのドラマがあるが、その一人に、真羅(まら)という兵士の話がある。
真羅の姓は李、名は万、字が真羅である。
真羅はしばしば戦争において、敵を驚かすために鎧や顔などに奇怪な模様をほどこして戦に臨み、
その姿から珍歩兵李(ちんほへいり)と呼ばれた。
そして長い戦の時代が終わり、年老いた真羅は隠遁生活の慰みとして絵を描き始めた。
絵のほとんどは若かりし頃に体験した戦場の風景を描いたものであったが、
その中でも南蛮制圧の時に真羅が見た蛮族の騎兵──巨大な象に乗った兵を描いた絵は特に素晴らしく、いまにも動き出さんばかりの出来であったという。
この逸話は真羅という人物を代表する話であり、今でも真羅の名前が出れば「珍歩兵李画騎太象」というフレーズが飛び出す。
現代において絵の表現技術はますます多様化し、文字で書かれた絵──いわゆるアスキーアートと呼ばれるものも存在している。
アスキーアートの特徴は既存の文字を上手く組み合わせて絵を作るということにあるが、
その一つにマラマラマラマラマラ・・・という言葉と共に現れる「チンポヘリ」のアスキーアートは男性器をプロペラとしたヘリコプターの絵であり、
男性器が回転する様子は本当に動いているかのような錯覚を与えるほどである。
このように、「珍歩兵李」と「チンポヘリ」など、芸術性の高い作品に関連する言葉には類似したものが多い。
これは、言葉に宿る不思議な力が芸術という分野においてなんらかの影響を及ぼしている。ということなのだろうか。

民明書房刊 「芸術の世界 No.072 ~写生のミステリー~」より

No.61    さいたま

『 才多磨 (さいたま) 』

中国清王朝では帝位を代々世襲する為、
嫡子の才覚を非凡なものとするための四つの儀式が行われてきた。
その中の一つである才多磨(さいたま)は、教育係二人組と嫡子の三人で行われ、
一ヶ月間飲まず食わずでひたすら「才多磨才多磨才多磨・・・」と唱え続けなければならない。
これを一ヶ月間続ける事によって、嫡子はあらゆる分野においての才能が宿り、また教育係はその才能を引き出す事ができるという。
しかし、儀式の過酷さは想像を絶し、発狂する者が絶えなかったため、
才多磨を行う前には必ず孟羅々(もうらら)という仙人の庵まで出向き、才多磨を行う許可を得なければならなかったという。
ちなみに、現代の日本の埼玉県はこの才多磨にちなんで付けられた事は言うまでもない。
また、インターネットの掲示板において「さいたまさいたま!」と連呼するAAがあるが、
これはまさしく才多磨を表したものである。

民明書房刊 「 苦礼四清治安 」 より

No.62    プリキュア

武離宮亜(ぶりきゅうあ)

北宋末期、度重なる異民族の侵略により軍は疲弊していき兵士となるべき青年
男子の確保にも事欠く事態に陥ってしまった。それを憂いた北宋の軍人であり
学者でもあった、武離宮亜(ぶりきゅうあ)は自分自身の私学校である辺炉根
(ベろーね)に13~15歳の女子を集めて彼女たちに特別な気功術を習得を
させ兵力の補充に当てようと試みたのである。
この気功術は体内の「気」を増幅させることによって身体能力を高めるものであるの
だが、特筆すべきはその方法であり、なんと彼女たちはお互いの手を繋ぎあうこと
よって信頼関係を高め「気」を交わし、それによる相乗効果によって体内の「気」
を高めるという一風変わったものであったがその効果は絶大であり彼女たちは
通常の10倍の身体能力を得ることができた。この気功術の熟練者は雷をも
自在に呼び出すことができたとされている。
彼女たちは公私を問わず2人組みで行動をしていたので白と黒の衣を纏っている
彼女たちが戦場に現れると、人々はこの恐るべき戦士を生み出した人物の名を
取って「二人は武離宮亜だ」と呼ばれ敵、味方を問わず畏怖と尊敬の対象であった。
現在、日本で放映されているアニメ、「二人はプリキュア」はこの武離宮亜の
故事にちなんで制作されていることは賢明な読者諸氏ならば理解できると思う。

民明書房刊「戦場の少女たち」

No.63    エミュレーター

『 絵観諭麗多亜(えみゆれいたあ) 』

古代中国王朝では芸夢(げいむ)と呼ばれる娯楽が存在していた。
芸夢とは字の如く夢のごとき芸であり、現在でいうサーカスのようなものである。
芸夢を行うには莫大な費用が必要であったため、行われる事は極めて稀であった。
ある時、たまたま宮中に客人として訪れていた仙人、露夢(ろむ)は芸夢の様子を観て、それを絵に描き写した。
すると、描いた絵が動き出し、絵の中で芸夢を行いだしたのだ。
宮中の人々は莫大な費用をかけてまで芸夢を行わなくなり、かわりに露夢の絵を見て楽しむようになった。
そして、芸夢は廃れた。
時の皇帝の側近である張 策賢(ちょう さくけん)は
「絵観諭麗多亜、露夢九打砕!(えみゆれいたあ、ろむください!)」
訳:絵を観て芸夢の美しさを諭しても、多くは偽り、亜流である。
  露夢は芸夢の本質を失わせたから九度打ち据えて骨を砕いてしまえ!
と言い放ち、露夢を処刑した。
この一件から、張策賢は今後一切の亜流たるものを書物から武術の流派に至るまでを禁じ、
現代の著作権は彼の名に因んでつけられている。
また、時折インターネットの掲示板等において、ゲームを実機無しで遊ぶことができるエミュレーターを要求する
「エミュレーターのロムください!」といった書き込みが見られるが、張策賢の言葉と非常に酷似している。
しかしながら、書き込んでいる人間の殆んどが著作権違法に当たるという事実は皮肉なものではないだろうか。

民明書房刊 「古代中国の法律」より

No.64    トリビア

『 賭理美吾 (とりびあ) 』

古代中国。文官をはじめとする知識人達が、お互いに自分の持つ知識を披露し合い
博学さを競い合ったとされるのがこの賭理美吾(とりびあ)と呼ばれる遊戯である。
どちらが博学であるか、といった判定は宮中の兵卒による多数決で決められ、
特に博識な者は皇帝から「博学さは黄金にも勝る人間の宝だ」と称えられ、黄金脳という称号を与えられた。
ちなみに、黄金脳の称号を得た者の代表として、太 孟利(た もうり)の存在が挙げられる。
当初、賭理美吾は知識人達による学問をはじめとした内容を披露するものであったが、
時が経つにつれ庶民の中にも賭理美吾を行う者が現れ、後々の時代になると低俗化が進み、
全く有用性の無い知識が披露される事も少なくなかった。
賭理美吾は貿易商人を通じてヨーロッパにも広まり、この賭理美吾を語源としてtriviaという単語が生まれた。
現在、日本のテレビ番組において「トリビアの泉」という雑学を披露する番組があるが、
その中で雑学を評価する単位「へぇ」と、賭理美吾の判定を行った「兵」
また、高い「へぇ」が「金の脳」に選ばれる等、賭理美吾と類似している点が多いことから
この番組が賭理美吾をモチーフにしたものであることは言うまでも無い。
それに加え、太孟利をなぞらえてタモリを品評会会長として抜擢するなど、この番組のプロデューサーはかなりの中国通に違いない。

民明書房刊
 『 中国~兵の本~ 番外コラム「兵士の役目は戦に限らない」 』より

No.65    乙カレー

『 緒通華麗 (おつかれい) 』

素麗建(すれたて)を行い、利酔素麗(りょうすれ)の称号を与えられた者が
生涯英雄として扱われ、何一つ不自由ない暮らしを約束される事については
本書に記したが、後継者もまた次素麗(じすれ)と呼ばれ、英雄として扱われる。
先代が死に、次素麗が決定すると、その際親族からその家の使用人に至るまで
その家系にゆかりのある者全てが一同に会し、血筋が絶えることなく繋がった事を神に感謝し、
「緒通華麗(おつかれい)」と祈りを捧げる。あるいは簡略化し「緒通!」と天に叫ぶ。
また、後継者争いが起こった際には従福(じゅうふく)と呼ばれる儀式を行う。
これは自宅から先祖の墓までの間を駆け、先に先祖の墓に到着したものが先祖の勝ち得た福を受け継ぐとされ、
敗れた者はこれに従わなければならない。しかし、後継者争いは醜い惨状であるため、従福は疎まれ、
従福に敗れた者のほとんどは利酔素麗の家系に関わらず、惨めな一生を過ごす。
現在、インターネットの掲示板において、良スレの二代目、三代目として次スレが建てられ、
その際「乙カレー」や「乙」など労いの意を示す書き込みがあるが、これら一連の行動は全て
利酔素麗の家系の風習が起源である。

尚、素麗建の起源については二通りあるが、もう一方の起源説については
当社刊「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」の項目を参照されたし。

民明書房刊 「中国娯楽大観」より

No.66    もうだめぽ

猛打!目保(もうだ めぽ)

言わずと知れた、有名なタイピング・ソフト。
漢の時代の罪人 由 鵜市(ユ ウイチ)が役人に追い詰められて立てこもり
そのときに残した最期の言葉が名前の由来となっている。
ただ非常に切迫した状況のなかで書き残したためか、その文章は
誤字・脱字が多く文章としては不正確なものであった。
そして、この中国の古い故事に習い
「いかなるときも正確に」をコンセプトに作成されたのがこの「猛打!目保」である。
また、「猛打!目保」の「目保」とは視線をまっすぐ画面から離さずにキーを叩く
ブラインド・タッチという意味も込められている。


民明書房刊 『今日からあなたもキー・パンチャー』より

No.67    キボンヌ

鬼煩濡(きぼんぬ)

鬼煩濡とは、中国四大奇書のひとつである水滸伝の序章にある、
伏魔殿から飛び出した108の光の球のことを指している。
読者諸賢にはいまさら説明する必要もないかもしれないが、
この光の球は人間の持つ108の煩悩を封じ込めたもので、
煩悩は鬼、つまり邪霊のようなものとしてあらわされている。
劇中でこれの封印が破られる場面で、伏魔殿の暗闇の中から外界へ
飛び出していった光の球が美しく、また妖しく輝くさまは、
濡れるような光を放っていたと、弾き語りによって人々に伝えられた。
鬼煩濡とは、「鬼にたとえられる煩悩が光の球となり、濡れるように
輝いている」という意味の言葉なのである。
このような語源のため、鬼煩濡はもともと人間のありとあらゆる
煩悩の昂りを意味する言葉だったのだが、水滸伝では登場人物が
種々の欲望から身を誤り、苦境に立たされ、破滅していくさまが
たびたび語られていたため、煩悩の中でも欲望の昂りという意味だけに
限定されていった。
目を現代に転ずれば、インターネットの掲示板では○○が欲しい、
という意味でキボンヌという言葉が横行している。この言葉が鬼煩濡に
由来することはもちろんだが、はるか古来から決して衰えることのない
人間の欲望を如実に映し出す言葉で、目にするたびに嘆息を禁じ得ない。

民明書房刊『精神と内観の時代めぐり』より

No.68    ガンダム

厳蛇武(がんだむ)

中国の春秋戦国時代、秦の国に阿夢呂(あむろ)という男がいた。
彼はひどく引きこもりがちな男で、臆病者であったのだが、
あるとき彼は秦の国の軍隊に徴兵されることとなった。
逃げ出せば殺されてしまう、しかし戦争に行けば必ず殺されてしまう。
そのため少しでも生き延びるために彼は木や青銅を使って特別製の鎧を作り上げた。
しかしそれは鎧というにはあまりにも大きすぎるもので、人間の8倍近い大きさに達していたと言われている。
秦の国の将軍はこの鎧を見て、これだけの大きさの鎧では動けずに的になるだけだと嘲笑したが、
いざ戦争が始まると阿夢呂はその鎧を不思議な力でまるで生きているかのように
自在に動かし、敵軍を蹴散らしたと言う。その後の戦争でも阿夢呂は活躍し、
ついに紀元前221年、秦は中国を統一したのである。
秦の始皇帝はこの影の功労者である阿夢呂を「厳蛇武(がんだむ)」と呼び称えた。
ある将軍は彼のことを「柔らかい精神を持つが他とは全く異なる力を持った男」であると評し、
そこから「柔他異夫(にゅうたいぷ)」という有名な故事成語が生まれた。
1979年に放映された人気アニメ「機動戦士ガンダム」の主役モビルスーツ
「ガンダム」の名の由来はこの厳蛇武であることは有名な話である。
また主人公の名前の「アムロ」や作中に「ニュータイプ」という概念が出てくることからも、
監督である富野由悠季は相当な中国通であったと思われる。

民明書房刊「僕達の好きなガンダム」 より

No.69    ジオン

地怨(じおん)

元の時代、時の王朝は思想弾圧を行い、多くの宗教が迫害された。
やがて元を倒す動きが起こったとき、元王朝に虐げられてきた大地の神を崇める蔡土世吻(さいどせぶん)の信者達も立ち上がった。
彼等は地育慈怨(じいくじおん)、「大地を育み慈しんできた神々の怨みだ」と唱えて元の軍勢と果敢に戦い、
その戦いで彼等のその半数は死んだが、その働きもあり元は滅びた。
人々は彼等の執念と信心深さに尊敬と畏怖を覚え、いつしか地怨と呼ぶようになった。

先程話題にした「機動戦士ガンダム」にジオン公国という独立戦争を仕掛けた国家が登場するが、
中国通の富野由悠季らしい命名と言える。

民明書房刊「僕達の好きなガンダム」 より

No.70    民明書房は実在するか

例:「民明書房は存在するか」という議論をしている場合、あなたが
「民明書房は存在しない」と言ったのに対して肯定論者が…

 1:事実に対して仮定を持ち出す
  「少なくとも、宮下あきらの脳内には存在するのではないだろうか?」
 2:ごくまれな反例をとりあげる
  「どこかの地域の登記簿に民明書房という名がないとも限らない。」
 3:自分に有利な将来像を予想する
  「今後誰かが民明書房という会社を設立しないとも限らない。」
 4:主観で決め付ける
  「民明書房を見付けることは男塾erのロマンだ。」
 5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
  「ないと見せかけて実はあるという見方が有力だ。」
 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
  「シュリーマンはトロイの存在を信じていたからこそ発見できたんだ。」
 7:陰謀であると力説する
  「民明書房が書く驚愕の事実は国家の脅威だから情報が伏せられているんだ。」

 8:知能障害を起こす
  「おまえの探求能力のなさを棚に上げといて何言ってる。バカジャネーノ」
 9:自分の見解を述べずに人格批判をする
  「探しもしないでないなんて言いきる奴は負け組。」
 10:ありえない解決策を図る
  「なら、宮下あきらを〆て吐かせよーぜ。」
 11:レッテル貼りをする
  「もうあきらめたのか? 根性なしが。」
 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
  「で、民明書房が実在しないとする根拠は何だ?」
 13:勝利宣言をする
  「曙蓬莱新聞社は実在を確認した。民明書房が見付かるのも時間の問題だ。」
 14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
  「民明書房刊じゃないのか?」
 15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
  「明日登記してくるから、おまえらも認めろよな。」

No.71    ワロタ

倭弄他(わろた)

中世、中国近海の航路における最大の障壁は、悪天候でも
暴政でもなく、「倭冦(わこう)」と呼ばれる海賊であった。
彼らの暴虐は苛烈を極め、商船を襲撃し食料や金品を
強奪するのみならず、酒盛りの余興として乗組員や乗客を
思いつくままになぶり殺しにしたという。
殺される順番を待つ者は、次々ともがき苦しみ死んで行く同胞の姿と
それを酒のつまみに大声であざ笑う倭冦どもの姿を見て
「倭再弄他了」すなわち「再(また)倭冦が他(かれ)を弄(もてあそ)んだ」と
恐怖と憎悪に震えたという。
しかし取り締まりの強化で倭冦が廃れ、恐怖が次第に薄れるにつれ
憎悪の言葉は「倭弄他」と短くなり、単に「面白おかしく笑う」という
意味に変わっていった。

余談ではあるが、現代のインターネットにて、冗談に対し「ワロタ」と
返事を返す例が多く見受けられるが、先の「倭弄他」との関連を
指摘する説がもっか注目を集めている。

(民明書房刊『井出義男のかんたん!君にもインターネット』より)

No.72    はにゃ~ん

埴谷庵(はにやあん)

江戸時代、現在の千葉県にあたる上総国(かずさのくに)・埴谷(はにや)に
大道寺(だいどうじ)なる寺があり、そこは毎年枝垂れ桜が咲き誇っていた。
18世紀半ば、当時の大道寺住職「知世和尚(ちせいおしょう)」がこの桜の美しさに
少しでも道行く旅人の疲れを癒して欲しいと考え、近くの川沿いに
一軒の庵を構えた。住職はその庵に「埴谷庵(はにやあん)」と名付け、
茶と茶菓子を用意し、旅人にふるまいながら共に咲き誇る桜を愛でた。
そして別れ際に「桜咲き 共に嬉しや 埴谷庵」と短冊に書いて渡したという。

その噂は次第に江戸へ広まり、それからは毎年春になると桜を求め
旅人が往来するようになり、「嬉しや埴谷庵」という言葉は当時の流行語となった。
もともと日本には桜の花見をするという習慣はなかったが、この知世和尚の
アイデアがきっかけとなって定番となったことは言うまでもない。
ちなみに大道寺は現在「妙宣寺」という名前に変わった、枝垂れ桜と共に
当時の面影を偲ばせている。

余談ではあるが、以前子供向けのアニメーションで、主人公の女の子が
嬉しいときに「はにゃ~ん」と声を上げるシーンがあったが、原作者が
このエピソードを参考にしたことを推測させる。

(民明書房刊『日本大衆文化再考~江戸は萌えているか~』より)

No.73    メイド喫茶

冥土吃嗟(めいどきっさ)

仏教説話では、この世とあの世は三途の川によってへだたれているとされ
それぞれを河の両岸に見立て「此岸」「彼岸」と呼んでいる。
この川には渡し守がおり、渡し賃を払うことであの世へと運んでくれるのだが
金を持たずに三途の川にやってきた亡者は、何かの方法で渡し賃を工面できるまで
哀れにも立ち往生を余儀なくされた。
だが、この有り様を仏は哀れに思い「決まり事を変えることは出来ないが、
せめて工面できる間のなぐさめを用意しよう」と、天上の蓮の実を三途の川縁に撒いた。
するとそれは見る見るうちに美しい花を咲かせ、かぐわしい香りを放ち始めた。
亡者だちがその香りを吸い込み吐き出すと、待つ間の苦しみをしばし忘れられた。
だが現実に手元に金があるわけではないので、陶酔からさめたのちの苦しみは
皮肉なことによけい強くなったという。
この説話は「冥土吃嗟(めいどきっさ)」と呼ばれた。冥土は「彼岸」と道義であり、
吃嗟は「(香りを)吸い込み、吐き出す」を意味する。
すなわち「いまだ彼岸へ旅立てぬ亡者への、束の間の益体のない慰め」のことである。

現代のオタクと呼ばれるメディアの亡者たちが、現実に旅立てぬまま束の間の陶酔を
求める場所のひとつに「メイド喫茶」があるのは、果たして偶然なのだろうか?

(民明書房刊『現実逃避のメカニズム』より)

No.74    ログ読め

魯愚嫁(ろぐよめ)
魯は儒教の盛んな国で、孔子の生まれた地としても知られる。
しかし魯の国の王に嫁いで来た嫁は非常に愚か者で、宰相である孔子の
進言も聞かず同じような愚かなことばかり繰り返すため、孔子は遂にぶち切れ
「魯愚嫁!」と言い捨てて宰相の地位を辞し、諸国漫遊のたびに出たのだと言う。
なお、現代において過去ログも読まずに同じコピペをする人物にしばしば
浴びせかけられる「ログ読め!」との罵声が、「魯愚嫁」と同じ発音であるのは
偶然であろうか。

民名書房刊「魯愚・脱兎落」より

No.75    ロリコン

『賂人金(ろりこん)』

呉の時代に部堂(べど)と呼ばれた大商人がいた。
この大商人達は政治をも動かす程の富豪であり部堂目を付けられた
商人達は物を売ることさえ出来ない程であったため、賄賂を
渡し部堂に取り入るもの達が多かったのである。
そのためこの時代は賄賂無くして商人共は生き残れなかったのだ。
だが、時が立つにつれ賄賂の量は増えて行き少し程度の金では取り入ることが
出来なくなったのである。
既に主要な商人達を取り込み、これ以上商人を取り入れる必要がなかったためで
あり、それでも取り入る必要があった商人達は莫大な賄賂を渡す必要があったのだ。
ある日、十歳に満たない貧しい商人の少女が自分を賄賂として部堂に差し出した。
この少女を気に入った部堂は「賂の人、金の価値あり」と云い財産を継がせたのである。
しかし、部堂は大層な幼女好きと言われており、この少女が部堂の子を孕んだとの噂も
あったことから金より幼女が好きと言う者達を『賂人金』と呼ぶようになったのである。
現在、ロリコンはLolita complexの略であると言われているが、こちらの説を唱える
学者も少なくはない。

民明書房刊『児童伝説極東編』

No.76    ペニス

『塀尼守(ぺにす)』

 宋の時代、女性の中から出家するものが多く現れた。
当時の僧侶は悟りを開くため、各地の寺院を回り、
経典を求めたが、出家した女性(尼)の多くは1つの寺
院に留まり、その地で修行を行った。
 だが、欲情した男子が寺院に侵入し、尼を襲う事件
が続出。それを知った宋の皇帝は周りを塀で囲った寺院
を建設させ、そこに尼を集めた。また壁を乗り越え侵入
するものを発見し尼を護衛するため、塀内の尼を守る者
「塀尼守」を雇った。その守りは非常に強固であったた
め、以後、尼が襲われることはなくなったという。特に
強いと評判となった塀尼守を「魔人や羅刹のごとき者」
と畏怖の念を込め「魔羅」と呼んだという。
 現在、男性器のことをペニス・マラと呼ぶが、この故
事とは一切関係ない。

民明書房刊『世界の壁 中国編』

No.77    ドクオ

『独男(どくお)』

中国、清王朝時代末期に優れた才を持つ男在り。
其の者は非常に容姿は端麗で、様々な知識を持ち
人格者として有名で、あらゆる技術を所持していたという。
ところが男は非凡な才を持ちながら、人に仕えることを極端に嫌い
野に下り、民衆の手助けをしながら、日々を自分の夢を追い求めたと言われている。
また、女性の扱いにも長け、常に女性との噂も絶えなかったが
誰かと契りを結び、所帯を持つということは無かったようである。
その後、人々は民衆に優しく自らの夢を追い求め、優れた才を持つ者を
尊敬の念を込めて「独男(どくお)」と呼ぶようになった。

現在において、優れた才能を持ち人格に優れながら独り身の男性を
「独男」と呼ぶことは、これらのことが由来であることは言うまでもない。

民明書房刊『永久に埋められない差~モテル男性とモテナイ男性~』より

No.78    人大杉

飛徒追過(ひとおうすぎ)

戦国時代の中国。楚に飛徒(ひと)と呼ばれた軍団がいた。
読んで字のごとく、飛ぶように戦場を駆け巡る軍団である。
しかし、後先考えずに戦場を駆け回るため、敵の策にかかる事も多かったと言う。
そのため司令官は飛徒の行動に常に気を配らなければならず、飛徒が深追いをしようとすると
大声で「飛徒!追過!」と叫び、彼等を制止したと言う。


現代社会ではとある巨大掲示板群でまれに発生する「人大杉」という状態があるが、
これが「飛徒追過」が由来である事はあまり知られてない。

民明書房刊「鯖と板」より

No.79    長さん

趙三(ちょうさん)

字義は「趙という家の三男」と言う意味だが、この場合は明朝末期の拳法家
「趙崇圭(ちょうすけ)」を指す。
趙家は独自の拳法を代々伝えていたが、それは決して刃物を使用せず、かつ
相手の刃物を封じてしまうと言う意味の「努利封(どりふ)」すなわち
”努めて利器(刃物)を封ず”と呼ばれた。
趙崇圭はその人柄から「趙三(ちょうさん)」と呼ばれ親しまれたが、己には厳しく、
生涯をかけた研鑽の末に、努利封の集大成を体得した。中でも奥義とされる
「努利封大瀑掌(どりふだいばくしょう)」や「禅陰襲剛(ぜんいんしゅうごう)」は、
努利封の打ち立てた金字塔とも呼ぶべきものである。
趙崇圭は現代で言う頸部リンパ節腫瘍により世を去ったが、彼自身は生涯
弟子をとることがなかったため、努利封は絶えてしまった。ただし趙と親交の篤かった
数名の拳友により、その意志は脈々と受け継がれているという。

なお、現代の日本の挨拶に「オイッス!」と片手を挙げるものがあるが、これは
趙崇圭の編み出した「横逸手(おういつしゅ)」という防御動作から来ている事が
研究により明らかにされている。

(民明書房刊『ありがとう趙崇圭~さよならするのはつらいけど~』より)

No.80    ひょうきん族

豹巾族(ひょうきんぞく)

明朝末期にその名を轟かせた武術の一派で、豹の毛皮で作られた巾(ひたたれ)を首に巻いていたため
このように呼ばれるようになったと伝えられており、その類希なる戦闘能力で、朝廷を守る地位にあったとされている。
特に、嶽長曼(たけ-ちゃんまん)という一族の長の巾はひときわ大きく立派で、
現代で言うところの「マント」のように巾を翻し闘うその姿は、鬼神そのものであったという。
豹巾族の歴史に残る最大の闘いは武羅鼓悪魔(ぶらっくでびる)と呼ばれる、黒衣を纏った
一種異様な反乱軍との一戦であると言われているが、この闘いを含め、公式には豹巾族の歴史に「敗北」の文字は見つからない。

しかし、最近になってわかってきたことであるが、この豹巾族が最も怖れていたのが趙家の一派であるというのだ。
週に一度朝廷にて開催されていた武道大会において、趙家の一派と豹巾族は常に好敵手であり、
趙家の三男趙崇圭(ちょうすけ:通称を趙三・ちょうさんという)の操る拳法「努利封(どりふ)」奥義「禅陰襲剛(ぜんいんしゅうごう)」
と豹巾族の長嶽長曼の操る剣術との一戦は熾烈を極め、毎回時間内に勝負がつかなかったといわれている。

後に趙三は病気でこの世を去る事になるわけだが、その知らせを聞いた嶽長曼は天を仰ぎ、
趙三の死を悼み、三日三晩涙を流しつづけたと言われている。

なおその後、豹巾族は歴史の中にその名を消していったが、
現代の日本において、豹の模様の衣服を纏う人が後を絶たないのは、
嶽長曼の武勇伝が受け継がれているからなのか、それとも、
趙三を心から尊敬していた彼の生まれ変わりの姿なのかを
知るものはいない・・・。

(民明書房刊『豹巾族と趙家、その闘いと友情』より)

No.81    ちょっとだけよ~

躇刀打気用(ちょとだけよう)


趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。
夏 東知乎(か・とうちや)もその一人である。夏は趙の拳法「努利封」(どりふ)を参考にし、独自の拳法術を会得した。
それが躇刀打計容である。
自ら着ていた服を脱ぐ事によって刃物を持った相手が切るのを躊躇した隙に打撃を食らわすという技である。
夏は趙の葬儀では送辞を行い、その死に深く涙したと言う。

民明書房刊 「僕達の好きな趙崇計」より

No.82    なんだ馬鹿野郎

難打罵茅牢(なんだばかやろう)

趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。
阿來仲(あ・らいちゅう)もその一人である。

阿は趙の拳法「努利封」(どりふ)を参考にし、最初は拳法術を編み出そうとしていたが、頭に
血が上りやすい性格のせいで、なかなかうまくいかなかった。
そんな折、阿の自宅に泥棒が入った。阿はその泥棒を一喝し、屋根を葺くために溜めておいた
茅の倉庫に押し込めた。

泥棒は何とか脱出すべく、周囲を滅多矢鱈に攻撃してみたものの、茅は打っても打っても衝撃を
吸収してしまう。それを見た阿は、思う存分に泥棒を罵倒したと伝えられている。
この故事が後に「打ち抜くのが難しい茅の牢に入れられ、罵倒されるほどの屈辱」という意味で
「難打罵茅牢」と略されるようになった。

阿は結局、努利封を修めることも、新たな拳法術を編み出すこともできず、一旦は趙と袂を
分かった。だが後に阿が没した時、趙は彼の墓前で「阿は立派な努利封の漢だった」と
涙ながらに語ったという。

なお、現代でも他人を罵倒する際、「馬鹿野郎」と怒鳴ることが多いが、これは難打罵茅牢の
故事が由来であることは言うまでもない。

民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」より。

No.83    雷様コント

雷神鎖摩昏倒(かみなりさまコント)


趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。
高 儀(こう・ぎ)、あざなを武卯(ぶう)という巨漢もその一人である。
趙三から武術の才を称えられ、趙三の努利封完成に大きく寄与したと言われる武卯だが
実は武のうさぎというあざ名が示す通り生来の臆病者だった。
武卯の才能を惜しんだ趙三は努利封の奥義を会得してのち、いつも小言を言ってはたしなめていた。
ある時、「努利封大瀑掌(どりふだいばくしょう)」の練習中その型を試していた趙三が武卯に技を
試したところ、さも大儀そうに縁台に座っていた武卯がみごとな返し技を見せて周りの者を驚嘆させた。
これは、と思った趙三は武卯を相手に技の工夫を続け、ついに完成を見た。
それが「雷神鎖摩昏倒(かみなりさまコント)」である。
この技は大儀そうにして立っている二人に油断した敵を、鎖を投げ合って身動きできなくして倒すという
恐怖の技であった。
後世の絵師たちは趙三を掛け軸や屏風の題材として好んだが、中でも雷神をも倒すと恐れられたこの技は
壮麗な構図からも非常によく描かれ、後には趙三と武卯を雷神そのものとして描かれるほど人々をとらえた。
日本で風神雷神図として描かれていた作品はこれらの特徴を持っていると言われている。

民明書房刊 「僕達の好きな趙崇圭」より

No.84    バカ殿

化塗能(ばかとの)

趙家に使えていた剣士・牟羅が趙一派と行動を共にしていた頃
とある武道家と決闘するときに編み出した戦法。
一番の特徴は顔を白く塗ることだが
これは本来表情を読まれにくくすると言うことであったが相手の武道家はその風貌に「滑稽だ」と笑ったという。
だが見た目に惑わされて油断した武道家は牟羅にあっさりとやられてしまったのであった。
またこの時牟羅の剣は相手の胸を「亞」の字に斬ったという。この技は「亞印(あいん)」と呼ばれた
牟羅はこのように相手を惑わす戦法を好んで使用した。
化塗能の他に「変名・御地山(へんな・おじさん)」が有名である。
プロレスにおいて顔にペイントを施す選手がいるが化塗能の影響であると言えよう
また人気お笑い芸人志村けん扮する「バカ殿様」は化塗能のメイクに酷似しているが
これは化塗能を参考にしたそうである(弊社刊「師 武賢(しむけん)の大乗仏陀」より)

民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」

No.85    ジャイアン

邪夷暗(じゃいあん)

宋の時代、剛田武(ごうでんぶ)という荒くれ者を首領とする盗賊団が世間を脅かしたことがあった。
彼らは自分が気に入った物は手に入れないと気が済まないという性質で、
「お前たちの物は我らの物、我らの物も我らの物」と豪語し、あらゆる手段で人々から物を奪い取ったという。
人々は彼らを憎み、「邪悪・蛮夷・暗愚」の意味を込めて「邪夷暗(じゃいあん)」と呼んだ。
これを重く見た皇帝は、夏亜陳(かあちん)に邪夷暗を撲滅するよう命じた。
夏亜陳は兵を率い、邪夷暗の隠れ家に攻め込み、次々と悪党を薙ぎ倒していった。
首領の剛田武は豪腕であったが、夏亜陳の強さにはかなわず討たれた。
こうして邪夷暗は亡び、世は平穏を取り戻したのである。

現在、ある有名な漫画に「ジャイアン:本名は剛田武(ごうだたけし)」というキャラクターが登場するが
それは剛田武と邪夷暗が元となっていることはあまり知られていない。
また、彼はガキ大将であるが、母親には頭が上がらないのは
邪夷暗を破った夏亜陳の名が「かあちゃん」に似ていることに由来していることも付け加えておく。

民明書房刊「中国盗賊伝」より。

No.86    ジョジョ

慈庵所(じおじょ)

後漢のころ、多発する騒乱(例:黄巾党の乱、十常侍の暗躍等)に対し朝廷は無力であり、
各地で官軍は苦戦し、疲れ果てていた。
三国志の英雄として名高い、劉備が関羽・張飛とともに黄巾党と対峙した際、
多くの捕虜を捕らえたのだが、彼らは雑軍ゆえに満足な装備を持たず、捕虜に対して十分な食事を与える事が出来なかった。
この時張飛は「捕虜なぞ皆殺しにしてしまえ」と息巻いたが、
劉備は「民のためを思い立ち上がった我々がそのような事をしては、人心は離れていくばかりだ」と張飛を諭し、付近の村から必死に食料を分けてもらって回ったという。

黄巾党の乱鎮圧後解放された捕虜達は、この劉備の行動と言葉に心動かされ、民のために働くようになり、各地に皆が米を持ち寄り、貧しい人々のために施す場が設けられた。
これが慈しみ(いつくしみ)を施す庵(いおり)、慈庵所(じおじょ)である。

現代において、荒木飛●彦氏の漫画「ジョジョの●妙な冒険」第一部は、産業革命期のヨーロッパが舞台となっているが、氏によれが
「もともとは横山●輝さんみたいに中国の歴史のなかで石仮面の話を書きたかったんですよぉぉぉぉぉぉ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨」
と、この「慈庵所」で育った貧しい少年を主人公にした話をスタートさせる予定だった。
しかし集●社との折り合いがつかず、やはりヨーロッパを舞台にしたストーリーに泣く泣く変更したという。
主人公に「ジョジョ」の愛称が残ったことや、氏の描く人物がどことなく中国拳法のような奇妙なポーズを取ったりするのは、
深く横山氏を尊敬していた荒木氏の心の表われなのかもしれない。

民明書房刊「三国志サイドストーリー」より

No.87    ドキュソ

~弩弓鼠(ドキュソ)~

中国、宋の時代の 弩弓(戦闘用の大型の弓矢)の名手
 度 灸雲(字は雷聞) は天高く飛ぶ鳥も、巨大な熊であろうとも、
自分に射殺せぬもの等無い と自負していた。
 しかしある年、穀倉にネズミが大量に発生し、退治を頼まれた度 灸雲は、
”大型の弩弓では大量のすばしこいネズミには役に立たない”
という周りの忠告も聞かず、弩弓にこだわった為に、
耳を齧られる大怪我を負ってしまう。
 この故事から「弩弓鼠」(弩弓を鼠にむける)「度灸雲」は
「自分勝手な愚か者」転じて「馬鹿者」を意味するようになった。
 また、漫画家フジコフジオがこの故事を元にマンガ「ドラえもん」を 描き、
人気を博したことは、あまり知られていない。
民明書房刊 「世界の弓術」より

No.88    ポンキッキ

奔鬼気(ポンキキ)

古代中国の周王朝時代、当時の王は精神を病んでいて極度の人間不信に陥り、
次々と罪の無い民や部下達を処刑していく手がつけられない有様であった。
軍師である我智安品(ガ・チアンピン)は王に処刑されようとした時、
遠い故郷の親族に別れの挨拶に行くため、王に無二の親友である武句(ムク)を
人質として預け、必ず戻ることを条件に暫くの間自分を解放して欲しいと申し出た。
王は智安品が約束を破り、武句を見捨てて逃げる事を確信した上でこれを受け入れたが、
智安品は約束通りに決められた期日までに戻ってきた。
智安品と武句の固い絆にうたれた王は、それ以来罪の無い人々を殺すことを
止めたと言う。

智安品が約束を守るため遠い故郷から王の元へ鬼気とした様子で奔った事から
名付けられたこの美談、奔鬼気(ポンキキ)は中国だけでなく、昭和の文豪である
太宰治を通して現在の日本でも語り継がれている。

ちなみにフジテレビの子供番組「ひらけ!ポンキッキ」は、この物語を元に作られており、
タイトルの「ひらけ!」という掛け声は、智安品が王の城に辿り着いたときに
「(城門を)開け!」と叫んだ事と、智安品と武句の友情が王の心を開いた事が掛けてある。

民明書房『古代中国の美談』より

No.89    ネカマ

『寝釜(ねかま)』

かつて、明代の中国において「結婚」は人の人生の中で最も重要な位置を占めていた。
しかし、古代中国史の多くがそうであったように、都と過疎地域との貧富の差は激し
く、とくに貧困層の結婚はすること自体が重要と同時に非常に困難なことでもあった。
そんな中で、過疎地域や貧困層の男子において、奇妙な慣例が定着していた。都に住
む、見ず知らずの富豪(大商人ら)に、男が女と偽って恋文を出し、交際を深めた後、
女装した姿のまま結婚するというのである。これは、過疎地域ゆえの貧困などを解決
するためといわれ、実際、結婚後は多くの祝い金が得られた。
結婚後、決して性交渉は行われず、万が一それが露見した場合は殺される危険性が
ありながら、男たちは自分たちの故郷を想い、それを辞めようとはしなかったという。
一説には、本物の男色同士が結婚した場合もあったというが、そのほとんどが正真
正銘の「男」。結婚後の家事などはひとつも満足にこなせず、「台所の釜は寝たよ
うに動いていない」状態だったという。
この様子から、女装結婚が「寝釜(ねかま)」と呼ばれるようになり、これが転じて
「女のふりをすること」を指すようになったといわれる。
現在、ネット界で散見される「ネカマ」の語源は、明代の「寝釜」だということは
明らかである。

(民明書房刊 「中国古史 古代儀礼の数々」

No.90    2ちゃんねる

『日夜練(にちやねる)』

古代中国秦の時代、将軍であった斐空柚奇(ひうろゆき)は度重なる異民族の侵略に頭を悩ませていた。
そこでこれに対抗すべく中国全土から高名な識者・学者を一同に集めその政策に
ついて話し合わせた。白熱した会議は何ヶ月にも渡って行われ、首都咸陽の
住民はそのあまりに激しい会議の様子に「わが咸陽ばかりは夜が訪れないのか」
と驚嘆し、中国史に名を残す数々の政策がここで生み出された。
このことからこの中国史に名を残した伝説の会議を「日夜練(にちやねる)」と称した。
今日、日本のインターネット界にて巨大な勢力を持ち日夜盛んな議論が行われている
「2ちゃんねる」が「日夜練」に語源を求めているのは言うまでも無い。

民明書房『中国軍事戦略史全集』より

No.91    ニート

仁意図(にいと)

魏晋南北朝時代、大陸北部にあったとされる地名。
人口およそ63万人の大きな集落だが、特筆すべきは住民の生活習慣だ。
ここの住民は食料を調達する時以外、全く働かなかったのである。
なぜなら、彼らは労働力を商品とみなす資本主義的な考えが
集落に災いをもたらすと信じていたからだ。
「仁を意図的に目指して、みんなで平等に暮らそう」と言われたことが
この地名の由来だという説もある。
ちなみに、この集落には日本で言うところのお歯黒のような風習があった。
ただしこれを行うのは男性で、皆24歳になると歯を黒く染めたという。

現在働かない若者のことを指すニートは、NEET(=Not in Employment,Education or Training)
から来ていると思われがちである。
しかし、実際にはこの集落の地名に由来しているということは想像に難くない。

民明書房刊「負けかな?勝ってる?働かない集落“仁意図”」より

No.92    パリィ

刃利威(パリィ)

古代中国において、剣の防御技としてもっとも基本とされた技。
長剣を用い、その刃を利することによって敵の物理攻撃の威力を0にする。
基本ではあるものの、未熟な腕ではほとんど成功せず、使ったところで深手を負いかねない。
だが、熟練した者ならば、ほとんどの武器攻撃を打ち払うことができたという。
少林寺の初代当主、部亜佐磨(べ あさま)がこの技を得意としたことから、
以降、少林寺において剣の師範は、第○代部亜佐磨の名を受け継ぐ慣わしとなっている。

なお、この剣技がはるか西方のアバロン帝国に伝わり、パリィと呼ばれる剣技と
なったことは、賢明なる読者の諸君には察しがついたであろう。

(民明書房刊 「常時魔剣時」より)

No.93    任天堂

忍天道(にんてんどう)

その昔、中国南部に賭け事が好きな忍天(にんてん)という若者がいた。
彼は麻雀の牌や花札の絵柄を書く仕事をしていたが、賭け事好きな彼はどんどん借金が増えていった。
ある日塗料を買いに町に出たところある仙人に出くわした。
仙人は「わしにお前の作る麻雀の牌をくれれば借金を帳消しにしてやろう」と言った。
彼は二つ返事で了解し、仙人に渡した。
仙人は負唖見魂(ふあみこん)と言う書を渡した。
これを呼んだ忍天は負け無しのギャンブラーとなり、後に進化した枢派唖負唖見魂(すうはあふあみこん)と言う書を書き、
鯨矛棒射(げいむぼうい)や亜土盤子(あどばんす)などと言った賭け事を考案した。
彼は道場を開いたが政府が「不謹慎だ」と言う事で道場と私財は没収され書物は焼かれてしまった。

これが任天堂の由来であることは周知の通りである。

民明書房刊「世界の賭け事全集第7集~中国最強のギャンブラー忍天~より」

No.94    PSP

皮射江素火異(ぴいえすぴい)

 遥か昔の古代中国…。とある霊峰に楚仁伊という名の仙人が住んでいた。楚仁伊は仙人でありながら下界の庶民と交流する事が多く、
民からも慕われていた。彼の趣味で作った様々な宝貝を惜しげもなく人々に与えたという。その楚仁伊が新しく作ったのが皮射江素火異
である。楚仁伊はこれまでに音楽を持ち歩く宝貝や人々の暮らしを写し撮る宝貝を作ってきたが、皮射江素火異はその二つの宝貝の能力
を持っているばかりか、様々な遊戯のやり方を収録しているという優れものであった。
 この皮射江素火異に目をつけた隣国の王「似典童」は自らが作った武器「泥得州」を用いて楚仁伊の住む霊峰と麓の村に攻め入ってき
た。慌てふためく村人たちの前で楚仁伊は至極落ち着いて皮射江素火異を敵兵に向けひねった。するとどうだろう! 皮射江素火異から
銀色に輝く小さな円盤が雨あられの如く飛び出るではないか! それを見た村人は一斉に自分たちが持つ皮射江素火異をひねり、円盤の
雨で似典童の軍を退けたのであった。
 2004年12月12日 SONYから発売されたPSPにはUMDが飛び出てしまうという初期不良が発生しているようだが、もしかしたら楚仁伊の
時と同じように我々の想像を超えた事態に対処するために時を超えてついた機能なのかもしれない…。
民明書房刊「崩壊へのカウントダウン 刻まれる破壊の秒針」より

No.95    クリスマス

【苦裏巣益】(くりすます)

中国は戦国時代末期、秦の攻勢に圧されていた楚では、貧富の差が激しくなっていた。
そんな状況で迎えた年の瀬、楚の将軍・桟汰(さんた)が街を視察していたところ、裏通りで寒さに凍える貧民たちを発見する。
桟汰はこの状況を嘆き、「苦裏巣益(くりすます。裏通りの人民が苦しんでいるのに、王は愛の巣で遊びに耽っている)」と呟いた。
余談だが、この時を期に彼は引退し、私財を投げ打って人民に施しをしたという。
独り者が人民、カップルが愚かな王だと考えると、現在のクリスマスという呼び名は苦裏巣益に由来していると断定してよい

民明書房「中国史に見るサンタの起源」より抜粋

No.96    2ちゃんねら

「二茶寝等」(にちゃねら)

中国は古代、時の将軍、飛・蝋勇鬼(ひ・ろうゆうき)が、部下に名は無いが凄まじい力をもった
民族がいると言われ、雇い入れたのが彼らの始祖である。
しかし、雇ったものの彼らは普段は起きては茶を飲み、茶を飲んでは寝てと
いわゆる二茶寝(にちゃね)を繰り返して毎日を過ごしていた。
彼らに当初呼び名は無かったが、このぐうたらぶりに怒った将軍が
「この二茶寝等(にちゃねら)が!」と怒鳴ったのが始まりである。

だが彼らはひとたび事に及ぶと「魔吊(まつり)だ!」と叫び手当たり次第に
自分を吊ったり敵を釣ったりと獅子奮迅の活躍をし、将軍を驚愕せしめた。
将軍が後に、
「敵にするととてつもなく恐ろしいわりに、味方にしても大して頼もしくない」
といった言は敵味方とも認めるところであったという。

余談だが、寝て食ってぐうたらばかりしてると、この逸話を知るものには
二茶寝等か?などとからかわれたりするので気をつけたいところである。

(民明書房刊 「歴史に名を刻んだ名無し萎人伝」より)

No.97    まけぼの

魔卦墓野(まけぼの)

いにしえの中国では古くから競腕(けいわん)という大会が開催されてきた。
競腕とは決まった規則や規定のない、いわば大規模な野試合であるが、
それがゆえにその勝者は大陸一の武芸者とされ、その称号をかけて多くの男たちが闘った。
漢の時代になると、朱母之(あけぼの)という男が競腕において永く君臨した。
朱母之は優れた易者でもあり、占卜によって相手の動きを読んだというが、
そのあまりの的中率に、朱母之は「魔卦(まけ)」と呼ばれた。
また、朱母之の闘った後には必ず墓が出来ると言うことから「墓野(ぼの)」とも呼ばれ、
以降、競腕における実力者のことを「魔卦墓野(まけぼの)」というようになった。
競腕は現代ではK-1と名を変えていることは良く知られているが、
あまりに不甲斐ない元横綱・曙が「マケボノ」と揶揄されるのは、
なにか皮肉めいた物を感じざるを得ない。

(民名書房刊『大晦日は打稲舞都!!』より抜粋)

No.98    シベリア超特急

死辺兆(しべちょう)

古来中国では、死は人知を超えた魔によってもたらされると信じられており、
死期が近い者には、なんらかの死の予兆が見られるとされた。 これが「死辺兆」だ。
特に有名なのは「死兆星」であり、夜空の星によってその者の死を示したとされる。
他にも、空になんらかの兆候を見出す例は多く、空は命の源、太陽の昇る場所で
あると同時に、死を伝えるスクリーンでもあったのだ。

なお、現代の日本映画「シベリア超特急」を見るとなんだか俺は死にたくなるような気がする
ということと関連性があるかどうかは定かではない。

民明書房刊 「映画と中国の歴史に見られる関係」 より

No.99    あるある探検隊

『亜硫 亜硫 短剣隊(ありゅう ありゅう たんけんたい)』
善史元国(よしもとこく)からは、様々な猛者が生み出されていったことは周知のことである。
そして、礼 牛羅(れ ぎゅら)もその中の一人である。

彼とその部下は、確実に敵を仕留めるための短剣の技に熟知しており、
その中でも、必殺の技として伝わっている物がある。
まず、緊張して気が飛んだ振りをする。そして相手が油断して近づいたときに、「ハイッ!ハイッ!ハイッハイッハイッ!」と叫びながら
隠し持った短剣で斬りつける。それは、特殊な加工をした短剣に亜硫酸を塗りつけたものであり、
それで斬られると、どんなに強固な鎧を纏っても、たちまち体は焼け爛れ肉体は崩壊し、死に至るほどである。

礼は部下全員にその短剣を持たせた。その軍勢はたちまち脅威の存在になると思われた。
しかし、当時の善史元国では、前述の壬内(じんない)や憲弧馬(けんこば)などが上位だったために
礼は善史元国ではその力を十二分に発揮することはできなかったといわれている。

現在。日夜お笑い番組で登場しているとある芸人がやっているネタに「あるある探検隊」というネタがあるが、
そのネタに、緊張のあまり気絶する。ハイッハイッハイッ!と叫ぶというフレーズがある。
さらに、そのネタを行うコンビ名が「レギュラー」であり、ネタタイトルからして、亜硫 亜硫 短剣隊となんらかの関係がありそうだが・・・。

民明書房刊 「あるある中国史」より抜粋

No.100    100get

百偈戸(ひゃくげと)

明朝末期に仏陀を称える偈が民衆に流布した。
それを唱えることにより、解脱することができるされ僧俗問わず唱えられるようになった。
熱心な教徒は一日に百回唱える行を自らに課し、これを百偈と称した。
百偈を行う者は大いに尊敬され、その家を誉め、人々は百偈戸と呼ぶようになった。
煮解賭、酸下吐などを軽薄行いと軽蔑し、百偈戸こそ真の聖人君子としたのだった。
信仰心の薄れた現代においても、インターネットで「100ゲット」と書き込むものがいるが、
その由来が百偈戸であることを知るものは少ない。

(民明書房刊 「仏教とインターネット」)

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