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民明書房


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詳細キボンヌ  ピクミン  ドーピングコンソメスープ  楽天ゴールデンイーグルス  僕は、神山満月ちゃん!  マリオ  久々にワロタ  働いたら負けかな  ちんぽ  ニート  VIPクオリティ  みのもんた  IQサプリ  ロマンシング・サガ  鶴瓶  マック、マクド  カーネルサンダース  きんもーっ☆  VIP  どう見ても精子です  バンゲリング・ベイ  スペランカー  モルスァ  デスクリムゾン  ドラマ  ファイナルファンタジー  くそみそテクニック  801  >>1乙  テラワロス  今だ1000get!  ルパン三世  オンラインカジノ  ビルメン  タンヤオ  カイン  スプー  ミノフスキー  ヤフー  メメタァ  極楽の山本  シャウエッセン  当て字  YouTube  ガチムチ  オロナミンC  


No.101    詳細キボンヌ

188 名前:名無したん(;´Д`)ハァハァ[sage] 投稿日:05/02/14 13:35:03 ID:UpogKcis
>>180
>>182
>>187
言羊 糸田 キ ヴ ォ ン ヌ

189 名前:名無したん(;´Д`)ハァハァ[sage] 投稿日:05/02/14 22:46:03 ID:5ue7Ell3
>>188
げんようしでん…ってなに?

190 名前:名無したん(;´Д`)ハァハァ[sage] 投稿日:05/02/15 01:32:43 ID:JuJLRsVq
言羊糸田(げんようしでん)…

古代中国において秘中の秘とされた幻の体術
体内に「氣」をため 圧倒的なスピードで動くことを可能にした
これを極めた人物は長い中国の歴史上でも三人に満たないと言われ
時の皇帝でさえ彼らには命令を下すことは不可能だったという

余談ではあるが彼らと戦った殆どの人間は
自分に何が起きたかわかる前に倒され それゆえ
「原因教えて」と口走ったという

なお「原因おしえて」→「げんいんおしえて」→「げんようしでん」→
→「言羊糸田」→「詳細キボンヌ」
と なったのは賢明な読者の推察通りである
                           民明書房刊
               『中国拳法に学ぶ人体の神秘』より

No.102    ピクミン

「飛駆民(ぴくみん)」

中国の僧侶たちの間には、輪廻転生について、次のような伝説が口伝によって語り継がれてきたという。
宋の時代、衽 天洞(にん てんどう)という僧が、使いのためにとある霊山の寺に向かう途中、
山地の濃い霧と悪天候のために山道から足を踏み外し、下の谷底へと転落してしまった。
幸い、下にはうっそうとした樹海が広がっており、木がクッションとなったおかげで奇跡的にかすり傷程度で済んだが、
寺の大僧正から預かってきた大切な書物を森の中に散らばしてしまった。
天洞が途方にくれていると、いつの間にか彼を不思議な姿をした小人たちが取り囲んでいた。
わらにもすがる思いで、彼は小人たちに自らの置かれた状況を説明した。
すると彼らは天洞の言う事を理解したのか、一斉に森へと散っていった。
そして数時間後に、無くした書物の一つを天洞の元に持ってきたのである。
初めは半ば希望を失いかけていた天洞であったが、これを機に活力を取り戻し、
次の日からは自らも小人たちに加わって捜索をはじめた。

彼らは体の色によって役割を分担して生活し、よく飛びはね、よく走り、時には森の獣たちとも力を合わせて戦った。
その中で仲間を失う事もしばしばであった。だが、ここで驚くべき現象が起きた。
犠牲となったはずの小人がまた地面から生えて来るのである。
天洞が地面から引き抜いてやると、その小人は再び群れに加わったのである。

数日後、小人の協力で天洞は無くした書物を取り戻し、小人に多大な感謝をしつつ旅路に戻り、使いを果たした。
彼は小人たちを「まさしく輪廻転生を具現化した、御仏の使いだ」と考え、「よく飛び、よく駆ける民」、
すなわち「飛駆民」と名付けて崇め奉った。
彼はその後小人に会うために何度か森を訪れたが、二度と会うことは無かったという。

数年前に家庭用ゲームとして「ピクミン」なるゲームが発売され、
可愛らしい小人たちが登場するが、このゲームはこの口伝を元に開発されていると言う事は想像に難くない。
また、発売したメーカー名がこの口伝の主人公と同じ読みであると言う事も、単なる偶然と片付ける事は出来ないだろう。

民明書房刊「世界の妖精伝説 中国編」より抜粋

No.103    ドーピングコンソメスープ

「銅品具金楚馬数婦(どうぴんぐこんそめすうぷ)」

春秋時代、楚王・士魯太(しろた)は「千年王国」の樹立を目指し、軍備の増強に励んでいた。
まず士魯太は、銅製品の鋳造を奨励し、その職人を援助すると布告した。
その噂を聞き、楚には中華全土から鍛冶職人が集まり、大いに賑わった。
次に、士魯太は、名馬の生産を計画し、それを成功させた。
「楚の馬は金よりも価値がある」と言われ、士魯太は屈強な騎馬軍団を作り上げた。
最後に、士魯太は兵士たちの士気の向上を試みた。士魯太は新たに数人の妻を娶り、
その間に何人もの美しい娘たちを儲け、戦功をあげた武将に娘たちを娶らせたのである。

士魯太の数々の政策により、楚は「春秋の五覇」の一つに挙げられるほどの隆盛を誇った。
当時の著名な儒学者であった根于呂(ねうろ)は、その話を聞き、
「強国となるには『銅品具、金楚馬、数婦』の三つを得るべし」と書き遺し、士魯太の努力を称えた。

現代、「幸せを呼ぶ料理」と人気を集める「ドーピングコンソメスープ」なるものがあるが、
恐らくシェフの至郎田氏は、「強くなるには大変な苦労が必要」であることを、この故事から学んだに違いない。

(民明書房刊「楚国大帝脳噛シロタ」)

No.104    楽天ゴールデンイーグルス

「楽天剛留伝・井伊具留州(らくてんごうるでん・いいぐるす)」

中国が清の時代、モンゴル地方に未期谷(み・きたに)という王が治める、楽天(らくてん)という国があった

楽天にも当然軍があり、未期谷は、軍に強者が留まるよう、その名を剛留(ごうる)とし、戦のたびに剛留伝(ごうるでん)という書物に剛留の戦いぶりを記録させた

しかし剛留は弱く、また総指令官の太御(た・お)の経験不足、副指令官の派解(は・げ)の天然により連敗を重ねていた

特に酷かったのが隣国の魔利員頭(まりいんず)を攻めた時で、剛留の死者26万に対し、魔利員頭軍はなんと0であった

これを見た楽天の首都・井伊具留州(いいぐるす)の民は絶望し、戦のたびに円城州礼(えんじょうすれ)で剛留の負けっぷりを楽しんだという

現代の日本で、東北楽天ゴールデンイーグルスが連日炎上し、実況板の炎上スレがにぎわうのは、まさに歴史は繰り返すという言葉がぴったりとくる

歴史とは味わい深いものである

民明書房「古代中国に見る野球のルーツ」より

No.105    僕は、神山満月ちゃん!

【北派 華箕山 万月張】(ほくは かみやま まんげつちゃん)

中国拳法には肉体を鍛え外的な破壊力を追求した「南派」と、体を水と見立て内部からの破壊を目的とした「北派」があることは
賢明な格闘技マニアの読者方ならご存知だろうが、その北派の中でも最強と呼び声が高い拳士に清の時代の「万 月張」
(まん げっちゃん)という者がいた。山東省の華箕山(かみやま)で修行した彼の内頸は、その威力ゆえ喰らった相手が
両手両足を広げ飛びあがったといわれる。また相当のサディストとしても有名で、相手に止めをさす時に
「おまえはどの拳士に打ちのめされたい?」などとつぶやき、そして相手は
「北派 華箕山 万月張!(華箕山出身の北派拳士、万月張にです)」と叫びながら宙に舞ったという。
それ以降「北派華箕山万月張」という言葉は、絶対に敵わない相手への畏怖の言葉を指すようになった。
VIP板などを中心に「どのアニメキャラと○○したい?」といった旨のスレが乱立した際、モナーが飛び上がりながら
「僕は、神山満月ちゃん!」と叫ぶAAが頻繁に見られたが、これが>>1に対する恐怖を表していたことを知るものは少ない。

民明書房刊「おまえらどの男塾生と油風呂入りたい?」より

No.106    マリオ

眞里欧(まりお)
殷の時代、貴埜瑚王国(きのこおうこく)が開国。
しかし30年後、玖派王国(くっぱおうこく)に支配された。
その上、国の妃、皮・馳(ぴーち)が人質になってしまった。
これを重く見た当時の王、季・廼皮墺(きのぴお)は
数々の戦いに勝った眞・里欧(ま・りお)と呼ばれる男に
玖派城に冒険を命じた。彼は矩吏姥(くりぼー)、廼故野孤(のこのこ)
などの障害物を越えついに玖派にたどりついた。
だが、辿りつく前、廼故野孤を投げた。するとまた跳ね返ってまた投げる
これがくりかえされ、眞・里欧は無弦位地阿部(むげんいちあっぶ)と
いう技を身につけ、玖派と戦った。しかし眞・里欧を倒しても
倒してもすぐ起き上がりついに力つき倒れてしまった。
そして皮・馳を救出。国民から賞賛された。その後
眞・里欧と仲の悪かった瑠・伊而(る・いーじ)、余・是(よ・っしー)
と出会い協力し、今後起こった数数の皮・馳誘拐事件で救出。

現在の有名ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」でピーチが
誘拐されクリボーやノコノコを倒しクッパ城でクッパを倒し
又、ノコノコをけり続ける無限1アップを使うことから、
この故事が元になったのは言うまでもない。

(民明書房「任天堂とマリオの関係」より)

No.107    久々にワロタ

久々仁和労多(ひさびさにわろた)

漢の時代、良政を治め民衆の支持を得ていた時の皇帝が急死してしまった。
後継ぎとしてその息子が皇帝を務めることになったが、
彼は私利私欲のために国の財力を使い、政治もおろそかであった。
そして近隣国との争いや飢饉なども加わって、民衆の不満は高まっていき、
先代皇帝の時から重臣を務めている蘭虞(らんぐ)は、胸を痛めていた。
あるとき皇帝は自らの権力を誇示するために巨大な城壁を作り始めるが、
これが幸運にも国の平和と、雇用の増大を同時にもたらした。
蘭虞はすかさず、皇帝の人徳により久々に国に安定が訪れたと、
「久々仁和労多」と皇帝を褒め称えた。
皇帝はこれをきっかけに、かつて国のために懸命になっていた父親の事を思い起こし、
自らも皇帝としての役目をまっとうしようと一念発起したという。

現代のインターネット掲示板においても、つまらないスレッドに
「久々にワロタ」と懐古主義を装った書き込みが行われるが、
これが蘭虞の言葉と同様の効果を狙っていることは説明するまでもない。

民明書房刊『ヤンキー皇帝、我に返る』より

No.108    働いたら負けかな

畑雷蛇羅蒔毛仮名徒重津手瑠(はたらいたらまけかなとおもってる)

 永楽帝の支配する明において北方の騎馬民族に対抗するための軍の強化が
必須であった。
 そのために永楽帝は武術を奨励し、全中国からあつめた精鋭による
武術大会を開いた。その大会で頂点にたったのが仁井徒とよばれる集団であった。
彼らは他者が必死に戦っている間、ごろごろと見守り消耗した段階で「今の自分は勝ってると思います」
勝利宣言してしまうと言うもので「畑雷蛇羅蒔毛仮名徒重津手瑠」と恐れられた。

近年、定職にも勉強もせずにいる若者をニートと言うがその語源は「仁井徒」
であることは言うまでもない。


民明書房刊『自堕落生活のすすめ』より

No.109    ちんぽ

『珍宝(ちんぽう)』
明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていたことは賢明な読者なら周知の通りであるが。
江栄地次郷(えぬえいちじきょう)と呼ばれる最果ての集落でも素麗建が流行していた。
素麗建で勝利したものは素麗建主(すれたてぬし)と呼ばれ集落の住人を呼び宴会を行ったといわれている、
特に酉の刻(現在の時間で午後六時から七時にあたる)の宴会は最も盛大に行われたといわれている。
また江栄地次郷一帯は風が非常に強く素麗建主の屋敷が直に老朽化するので宴会に呼ばれた者が
逸早く新たな屋敷を建て宴会の続きに備えたといわれている。
そして新たな屋敷を建てた者、新たな素麗建主に対し住人達は労いの言葉を掛けた。
その中でとある住人「陳 穂張(ちん ほちゃん)」は「珍宝」と言って宝物を献納したと言われている
初期は同じものを献納していたが後に宝物は豪華な装飾をまとった物になり
他の住人達も次回はどのような宝物を持ってくるのか期待するようになった。

なお現在NHK実況板で新スレが立てられるたびに様々なバリエーションのAAで
「 (´・ω・`)チンポ 」と言う書き込みをされるのはこの故事から来ていると近年の研究により分かってきた。
また実況板の住人達はそのAAのキャラクタのことを「チンポちゃん」と呼んでいるのは
珍宝の創始者「陳 穂張」からきているのは言うまでもない。
このような故事を知っているとはNHK実況板住人達の知識の高さに驚きを隠せない。
民明書房刊    「中国史で学ぶコミュニケーション」より抜粋

No.110    ニート

新人【にいと】
古代中国において、世襲ではなく自分の興味のある職業の道を究めるためにその道の師匠に弟子入りする人がいた。
そして、入門して間もない人のことを新人と呼んでいた。
しかし、こうした若者の多くは職の厳しさに挫折し、すぐにやめていく者なども後を立たなかった。
こうして職を離れた者はたいていの場合二度と働きたくないと言う心情を持ち、次のような一節までのこっている。
働則思吾負也 (訳:働いたら負けかなと思ってる)
それから数十年が過ぎ、初めから職業にもつかず、学業にも励もうとしないものも出てきた。
時代の変化とともに言葉の方も変化し、こういった人のことを新人と呼ぶようになってきた。
日本で最近、このような人たちのことをニート(NEET)と呼んでいるが、これは決して英語の略称ではなく古代中国にちなむ言葉であることを知っておきたい。

No.111    VIPクオリティ

美符苦折帝 【びぷくおりてい】

中国殷代、最後の帝紂王は名君であったが、
愛妾妲己に溺れ暴君になってしまったことは有名である。
紂王が行った愚行の中で、酒池肉林、炮烙などは知られているが、
特に民衆を苦しめたのが『美符』である。
美符とは未開の地、柔即にあるという符のことで、仙人弐糸がこめた霊力により
永遠の若さを得られると信じられていた。
これを紂王が、妲己の美のために国民に探させた。
若い者は探索に駆り出され、探索費用のために重い税はさらに重くなったので
人々の不満は膨れ上がり、周の武王はこうした民意を受けて立ち上がり、殷を滅ぼした。
後に人々は、紂王のことを美符の苦しみによって折れた帝であることから
美符苦折帝と呼ぶようになったという。

現在、ネット上のニートを中心としたある集団が、自らの快楽のために奇行を繰り返しては
『それがVIPクオリティ』と叫んでいるが、彼らが紂王のような愚かさの果てに
自滅の道を歩んでいるように見えるのは偶然ではないだろう。

(民明書房刊 「古代中国-王朝変遷」より抜粋)

No.112    みのもんた

ミノモンタス

 古代ギリシャにおいてはデモステネスに代表されるような雄弁家が多数存在した。
中でも雄弁家の1人、ミノモンタスの弁舌には目を見張るものがあった。彼は午前には
ティビエス広場で政治批判を行い、正午にはニッテレス広場で主婦向けに美と健康に
ついての講義を行い、晩にはフジテレス広場で道行く人々に問答を行なっていた。
このように毎日演説を行なうミノモンタスはたちまちアテネ中の人気者になった。しかし、
徐々に人々を煽動するような言動が目立つようになり、時には虚偽と誇張で塗り固めた
ひどい演説も行なっていたがすでにミノモンタスに疑問を抱くものはいなかった。ある日、
ミノモンタスは「健康を保つために朝一番にぶどう酒を飲むのが良い」と演説を行い、翌日
その言葉を信じてぶどう酒を飲む人々が続出し、仕事が手につかなくなる、という事態が
起こった。このため執政官ビオフェルミナスの怒りを買い、毒酒で自決させられた。現在に
伝わる衆愚政治、mobocracyという言葉はminocracyという言葉が訛ってできたものであり、
言うまでもなくこの語源はミノモンタスである。

ミュンヒハウゼン出版刊「世界の雄弁家たち 第一巻」より抜粋

No.113    IQサプリ

藍球座降(あいきゅうさぷり)

 宋の時代に科挙の制度が完全に確立してから、受験戦争はますます過熱していった。
当然、受験のための塾もあちこちに建っていたのだが、中でも威統(いとう、字は志楼)が
建立した塾では風変わりな勉強法で有名だった。塾生が納得できない部分があれば
藍色の棘のついた球を籠の中に入れさせ、講義の終わりに正座してその球を頭上から降らせた
のである。「塾生の苦しみがどれだけのものか理解するため」というのが理由である。塾生の
ために体を張るこの方法は後に藍球座降(あいきゅうさぷり)と呼ばれ、威統の塾からは多数の
科挙の合格者を出した。

現在、フジテレビの人気クイズ番組「IQサプリ」で伊東四郎氏が最後にモヤットボールを頭から被るが、
まさしく藍球座降の故事に基づくものである。

民明書房刊 「目指すはIQ1100」 本郷 猛   より抜粋

No.114    ロマンシング・サガ

浪漫心愚 鎖我 (ろまんしんぐ さが)

昔々、古代中国の梳江亜(すくえあ)地方を治めていた皇帝は日々の生活に嫌気が差し、
家来に命じ寝食を忘れる程没頭できる遊戯を考えさせたことがあった。
当時梳江亜有数の軍師であった河津(かわづ)は、そこで皇帝にある遊戯を提案した。
皇帝はその遊戯に没頭し、正に我を忘れて遊戯に興じたという。
その後皇帝は政治を省みなくなり、梳江亜地方の治安・財政は悪化。
とうとう隣接する獲仁楠(えにくす)地方の皇帝に攻め込まれてしまう。
最終的に陥落は免れたものの、両地方は獲仁楠・梳江亜(えにくす・すくえあ)地方として
合併するに至ったという。

後に梳江亜の皇帝はこう語っており、それが浪漫心愚 鎖我の語源となった。
『素晴らしい遊戯であった。久々に浪漫を感じることができた。
たがまるで鎖に縛られたかのように我を忘れて興じたことで攻め込まれたのも事実。
あれは人の心を愚かにしてしまう恐ろしい遊戯であった。』

十数年後。河津はこれを庶民用に改良し、民数徒励留 孫具(みんすとれる そんぐ)
の名を冠して世間一般に広めた。獲仁楠・梳江亜地方外不出のこの遊戯は瞬く間に民の心を掴み、
遊戯を楽しみたいが為にこの地方に生涯留まる者が続出したという。
現在ではこの遊戯の名称は略され、民鎖我(みんさが)として広く親しまれている。
尚、孫具とは、孫の代までこの遊戯が広まるようにとの願いを込めて河津が命名したもので、
事実孫に民鎖我を教えることを生きがいとする老人が増えてきている。

民明書房刊『梳江亜の隆盛について』より抜粋

No.115    鶴瓶

都琉平(つるべい)

唐の時代。彼は府寺という、寺が行っていた、二十五侍官定令日(にじゅうごじかんていれいび)で
毎年、不祥事を起こしていた。その中でも酷かったのは、深夜の参拝において、寝ぼけたまま
参拝客の前に出ただけでなく、その時に下半身を露出していたということである。
これには都琉平自身もいたく反省し、それ以降は真剣に参拝を行おうとしたが、
都琉平がまたこのような事を行うのではないかと、危惧した同僚は、翌年、都琉平の下半身に鉄の褌を着せたというのは有名である。

さて、さらに翌年、彼は今までの反省のために、二十五侍官定令日の総合担当となった。
とはいえ、やはり一抹の不安を持っていた部下たちは、都琉平が出る前にあらゆる仕事や参拝を片していった。
そのため、暇を持て余した都琉平は、定令日の最中にも拘らず、僅かな部下とともに、我田空公(わだあきこう)の寺へと行ってしまった。
その後、都琉平を補佐していた嵩揣摩(たかしま)・夷真田(いまだ)が空公の寺へ、空公の部下である庵堂(あんどう)が府寺へと行き
それぞれ、謝罪したというのは言うまでもない。

フジテレビが毎年夏に行っている、25時間テレビでは、最近になって鶴瓶の奇行が問題視されているが、
その発端は、もしかしてこの故事にあるのかも知れないだろう。

民名書房刊 「故事から学ぶ、テレビのトリック百選」より抜粋。

No.116    マック、マクド

馬着・馬駆道(まつく・まくどう)

日本の5街道と言われる東海道・中山道・奥州道・日光道・甲州街道。街道脇には宿場町があったが
馬着(まつく)と言う宿場町があった。そこには南蛮渡来の飯包粉(はんぼこ)というパンを使った食事で馬に
乗ったままでも、食事をとれるように馬の守りも止まる事もしなくていい道来無守留(どうらいぶする)
という方式を採用した。飯包粉には手梨焼味(てりやき)があり、血筋冨射鈴鴨(ちきんふいれいお)という鶏を
射た中身のものもあった。この宿場町はたちまち全国に知れ渡るようになった。

一方、関西では五畿七道を中心にこのシステムを真似た宿場町が出来た。こちらもたちまち広がり、
馬を使うものの多さに道行く旅人は馬駆道(まくどう)と揶揄した。このシステムを真似た宿場町の宿
には風亜禁(ふあきん)、路停利亜(ろていりあ)、網州婆家(もすばあが)などがあった。

現在、マックと言われるファーストフード店はドライブスルーなどを採用し、てりやきマックバーガーや
チキンフィレオといったメニューがあるが、馬が車に変わった以外に殆ど差異がないことからわかるように
古代より移動しながら食事をするスタイルが確立されたことは驚くべきことだろう。また、地域によって馬着と
馬駆道が分かれ、これが現在も関東のマック・関西のマクドと言う風になっている点も注目される。

民名書房刊 「東海道中満食毛」より抜粋。

No.117    カーネルサンダース

解捻流惨断手(かいねんりゅうさんだんしゅ)

元朝末期、大陸の各地で起こった反乱の中、一人の蛮勇が出現した。
元軍を次々と屠るその怪物じみた力から男は拳達鬼(けんたっき)と呼ばれ、味方からまでも恐れられた。
明朝成立後、拳達鬼は暗殺業へと転じ、己の技を体系化して「解捻流」という一集団を作り上げた。
人体を捻じ曲げることによってバラバラに解体するその暗殺術の奥義「惨断手」は素手で骨すら断ち、
いかなる相手でも無惨な肉片とせしめるという。

解捻流の使い手は「仕事」の際は白い礼服をまとうが、これは標的に対する喪礼の意と
「返り血を浴びることすらない」という自負であり、微笑みながら両手を軽く出す独特の構えは
武器を持っていないことを示して油断させる効果の他、「次の瞬間お前の首はこの手の中にあるだろう」
という挑発・脅しの意味があるとされる。

なお余談だが、英語のchickenには「鶏肉」の他「臆病者」という意味があるが、これは拳達鬼が遺した言葉
「負隷同地禽(ふれいどうちきん)」(訳:負けて奴隷となることは鳥が地を這うことと一緒だ)
に由来することは、あまり知られていない。

民明書房刊「殺りたくなるなる中華殺法」より抜粋

No.118    きんもーっ☆

【禁妄(きんもう)】

秦代中国において、曼画(まんが)・芸夢(げいむ)・荏魯芸(えろげい)・阿仁瞑(あにめい)・といった娯楽を好む、
於拓(おたく)と呼ばれる者がいた。中には、それらの娯楽を見て興奮した者が自分で妄想による曼画を描き、
憧荏誌(どうじんし)と呼ばれる印刷物にして、他の於拓に向けて鬻(ひさ)ぐ者もおり、
毎夏冬には曼画即売会と呼ばれる、大規模な憧荏誌の即売会のようなものが行われていた。
即売会には、軽食屋台を出店する者もいて、その屋台の出店した者の中には、
即売会に参加する於拓たちや彼らの描いた曼画や妄想に対する嫌悪感を抱く者もおり、
彼らのうちのが某が書いたと思われる、日記とされる書物に「於拓是多数、禁妄(きんもう)」と書かれたものがあり、
それが殷多捏都(いんたねつと;都市に点在する、民衆が集まる広場)の掲示板にその書物の内容が書き込まれたのがきっかけで、
その掲示板を見た者の中に「禁妄、禁妄」と書き込むことが流行したという。

なお、現代において、屋台ホットドッグ店「ネイサンズ」のアルバイト店員が、コミックマーケット68に出店した感想として「きんもーっ☆」「大量のオタ、きもい!」 と自分のブログに書き、
そのブログがインターネット掲示板「2ちゃんねる」に晒され物議を醸しているが、これは何かの偶然であろうか。

(民明書房刊『秦漢代於拓記―牛馬車男にみる於拓―』より)

No.119    VIP

微布 (びっぷ)
かつての中国の貧困層、そのさらに最下層の人間は
身につける衣類も必要最低限の貧相なものであった。
彼らは微布と呼ばれ、仕事もなく、それでいて貪欲であった。
上位の人間が気まぐれに投げ与えた食事に群がる様は、ある種の狂気を想起させたという。
彼らは貧困の中、それでも日々を楽しく過ごしていたと過去の書物は語っている。
また、彼らは敵対する勢力には異常ともいえるほど攻撃的であった。
その闘争心を買い、時の皇帝は彼らを徴兵し戦に利用しようとしたが
まったく役に立たなかったと言う。

今の2chの最下層、ニートが集い、敵に回すと恐ろしいが味方にすると頼りない集団、VIPが
この「微布」に由来していることは想像に難くないだろう。

~民明書房刊「勝つために働かない」より~

No.120    どう見ても精子です

同箕帝毛精子(どうみていもうせいし)

南北朝時代の中国において、名君と謳われた同箕帝という皇帝がいた。
しかし帝は子宝に恵まれず、帝亡き後は隣国からの侵略は目に見えていた。
原因は帝が不能なためであり、これを案じた帝の母は七日七晩天に祈り、
ついに帝は毛ほどではあるが精子を出すことに成功し、ついに子宝に恵まれ滅亡から免れたという。
後に中国ではこの故事を同箕帝毛精子(どうみていもうせいし)と呼び、
男子が精通を迎えた日には、帝の母が祈願中に飲んだといわれる軽美酢(かるびす)を振る舞い、
無事成長できたことを母に感謝するならわしがあった。

現代日本において、精子をブチ撒けたところを母に見つかった際、
「カルピスを溢した。本当にありがとうございました。」
と言う者がいるが、この同箕帝毛精子の故事に由来するものかは定かではない。

民明書房刊「ティッシュがない!古代中国に見る驚嘆のピンチ脱出法」より

No.121    バンゲリング・ベイ

万化輪苦塀(ばんげりんぐべい)

 本能寺の変の後、ただちに豊臣秀吉は明智光秀を追撃した。そして天王山の戦いに
勝利したが、光秀の逃走速度は予想よりも速く、脱出されそうになった。。そこに覇道尊
(はどそん)なる怪僧が現れ、「拙僧が光秀を混乱に陥れよう。その隙に秀吉殿が
討ち取ってくだされ」と言い残し、逃走経路を先回りして森の中に「万化輪苦塀」なる妖術を施した。
これは魔力のこもった六つの塀を一定の位置に設置して陣地を造り、陣地の中に入った相手の方向
感覚を失わせ、同じところをぐるぐる回る苦しみを与えることからその名がついたものである。
かくして光秀は陣地の中をさまよっているうちに農民によって刺殺された。この報を知った秀吉は
「覇道尊の万化輪苦塀はまさに苦創芸(くそげい、苦しみを作り出す芸術)である」と称賛した。
後に覇道尊は秀吉に仕え、万化輪苦塀で多くの敵を混乱に陥れた。敵は何をしてよいのかわからず、
餓死か降伏を迫られた。しかし、万化輪苦塀は大坂冬の陣で徳川家康によってついに破られてしまった。
家康は六つの塀を爆弾で壊せば無限ループから抜け出せることを知っていたのである。
 ファミコンができた当初、ハドソンが発売した「バンゲリング・ベイ」はまさにこの万化輪苦塀の故事に基づいて
作られたシューティングゲームであったのはゲーム関係者の間では常識である。

民明書房刊「テレビゲームウォーズ~母ちゃんたちには内緒だぞ~」より抜粋

No.122    スペランカー

滑辺欄干(すべらんかん)

戦国時代、飛騨高山の大名、姉歯小路秀次が籠城戦のために設計した究極の罠。
高山城に通じる唯一の橋の欄干にカラクリがあり、
敵兵が橋の上に集結した瞬間に橋の真ん中が割れ、一人残らず60尺の崖下に滑り落とさせた。
中には一命を取り留めたものの、結局這い上がることができずに、絶望して自刃する者もいたという。
しかし、その秀次も天正16年の飛騨大地震で自ら設計した天守閣が倒壊し圧死。姉歯小路家は滅亡した。

ところで、80年代に一世を風靡したスペランカーという洞窟探検のテレビゲームがあった。
このゲームは、主人公がちょっと床から滑っただけでミスになる難易度の高いものであるが、
その様が、滑辺欄干の罠にかかり自刃した侍にダブって見えるのは、単なる偶然の一致ではないであろう。

民明書房刊「続テレビゲームウォーズ~こいつはドえらいシュミレーション~」より抜粋

No.123    モルスァ

漏琉洲蛙【もるすあ】

古来中国では漏琉洲湖(もるすこ)という、珍しい生物が生息する湖があった。
漏琉洲蛙という蛙もその一種である。
この蛙は二足で歩行し、全身に毛が生えていたため、
王宮でペットとしてもてはやされていた。
やがて朝廷ではこの蛙をつかった振素弧(ブルスコ)という遊技が流行する。
この遊技は、蛙を的に見立て競技台の上に固定した後、
競技者が蛙の首を物凄い勢いでチョップし、
誰が一番きれいな弧を描いてとばすことができるかを競うものであった。
そのためこの蛙は乱獲により激減し、絶滅してしまった。

2005年、日本でファービーという玩具が
発売されたが、この玩具は漏琉洲蛙と同じく、首をチョップして遊ぶものである。
漏琉洲蛙が起源となっていることは間違いないだろう。


(民明書房刊:絶滅した生き物 より抜粋)

No.124    デスクリムゾン

出主栗無損(ですくりむぞん)

時は三国時代、富令諏廷(ぷれすてい)、呂駒四(ろくよん)、沙侘亜無(さたあん)という格闘家たちがいた
彼らは中原にて覇を競い、中華最強の名を争っていた
その中の沙侘亜無の弟子が、江戸尾琉(えこおる)郡出身の栗無損(くりむぞん)である
出主(です)という道場破り撃退の役職についていた彼は、親しみをこめて出主様と呼ばれていた
また、沙侘亜無一門の試合、沙侘亜無磨我尽(さたあんまがじん)にて絶大な強さを誇り、
一部の門徒からは鎖と火矢を使う戦闘スタイルから、鎖射火射帝王(さいかいていおう)として恐れられていたという


数年前、サターンマガジン誌上において、デスクリムゾンというゲームが
デス様、最下位帝王という名をほしいままにしていたが、これはおそらく偶然ではないであろう。

民明書房刊「セガのゲームは世界いちぃぃぃぃ!」より抜粋

No.125    ドラマ

度羅魔 (どらま)

後漢の時代、とある町の地下闘技場では魔術を用いた戦闘による賭博が大流行していた。
魔術というものは本来起こるはずもなく、それが闘技場側が仕組んだものであることは明白であり、
かつ闘技場側からも「魔術、是意図的也」との注意があったのだが、
観衆は目の前で繰り出される炎や氷に見とれ、魔術は実在すると信じ込んでしまっていたのである。
こうした見世物が、世の中の治安を乱すことは世の常である。
闘技場外で魔術のマネをしたとある男が、自分の腕から炎や氷が出ないことを不満に思い、
袖にツララを仕込んで通りすがりの人物に向かってツララを投げつけて、殺害してしまったのだ。
しかし、漢の皇帝は「度を過ぎる、羅の如く荒い人物が魔術のマネをしただけだ。魔術自体に問題はない」として、
問題を放置していた。
この皇帝の対応に不満を感じた民衆は、「度を過ぎる、羅の如く荒い人物が魔術のマネをする」という問題を放置したことを揶揄し、
当時の皇帝を「度羅魔(どらま)」と称したのだという。
ちなみに、度羅魔は今後現れてきた新たな娯楽は全て規制していったそうだ。

現代日本において、暴力シーンの多いドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の内容に若者が感化され、
池袋周辺にまねっこカラーギャングが激増して治安が悪化したのは有名な話だが、
政府においてドラマの表現方法について規制するという動きは全くない。
それどころか、犯罪が起きればアニメやゲームといった新しい娯楽を批判し、規制する方向に移っているのが
後漢皇帝の「度羅魔」の執り行った政治と似通っていると感じるのは、筆者だけではないはずだ。

民明書房刊「新たな娯楽と政府の関係~偉い人にはそれがわからんのです!~」より抜粋

No.126    ファイナルファンタジー

廃成繁多示威(はいなるはんたじい)

かつて中国中央アジア近辺に主空依唖(すくうえあ)国という小国があった。
しかし近隣の騎馬民族に攻められ滅亡間近と言われた時、4人の英雄の活躍によって救われた。
彼ら4人は玖李廃流(くりすたりゅう)の武術の使い手で、
その実態は条武(じょうぶ)と呼ばれる様々な武器術や徒手空拳術を集めた総合武術であったという。
彼らはこれらの条武をいくつも極め、敵を翻弄した。
さらに帆船部隊を率いた司度(しど)王の援軍も受け、見事に勝利を収めた。
後にこの玖李廃流(略して廃流)大いに繁栄を極め、威を示したことから廃成繁多示威と呼ばれた。

現代、ファイナルファンタジーなるシリーズ作品が人気を博しているが、
この廃成繁多示威を元に制作されたことは定説となりつつある。
さらに誕生の逸話も滅亡間近という危機的状況から生まれたということも奇妙な一致といわざるを得ない。
なお、玖李廃流は略して廃流と呼ばれるが、
現在ファイナルファンタジーをプレイして廃人となる者が後を絶たないのは悲しい現象である。

民明書房刊「MMO~その全貌~」より

No.127    くそみそテクニック

苦挿身草(くそみそう)

学名をヤマジュネス。ヤマジュネス科に属し、名前の由来となったミクロネシア諸島に存在する
クーソミ島が原産である。島民であるアベベ族とミチシッタ族はこの草にある筒状の袋の中で
大小の用を足すが、ノンケーと呼ばれる養分によって、ミチシッタ族の中にはアレルギー反応で
草に挿れたまま、果ててしまう者もいた。また大便でした場合は逆流する恐れがあるので、
肛門を口の部分で栓をするものもいた。なお、この袋を使って、「ヤラライカ」と言われる打楽器が
作られる。フランスの植物学者であり、人類学者のウッホ・イオトッコが発見した。
なお、ウッホが山川純一作の「くそみそテクニック」を見て、あまりにクーソミ島の事例と
共通する部分が多かったと言ったのは学会での語り草となっている。余談だが、アベベ族はミチシッタ族
にしばしば、性処理をさせていると言う研究報告もある。

民明書房刊「俺のすごく大きい南洋植物百科を見てくれ」より

No.128    801

矢追(やおい)

 漢~明時代まで行われていた二人一組で行うスポーツ。全長約50mの扇状の陣地内に
攻(せめ)と呼ばれる競技者が矢を射、陣地内にいる受(うけ)と呼ばれる競技者が的を持ち、
矢を追って的に矢を受け、矢の的中数を競う。その様子からいつしか「矢追」と呼ばれた。
元々は秦の将軍、不徐至(ふじょし)が練兵法として考案したものである。
 この競技には二人の連携が大事なのは言うまでもなく、競技者は互いの連携を高めるために
大会前は夫婦のように寝食を共にしたと言われている。時代が進むにつれ、複数の攻と一人の受、
逆に一人の攻と複数の受で競技を行う試合形式も登場した。しかし、この競技は一歩間違えれば
死亡事故に繋がるため、明時代に永楽帝によって禁止された。そうでなければ中国の誇る国技に
なっていたであろう。大変残念である。ちなみにイオンド大学教授でUFO研究家の矢追純一氏の姓が
この矢追に由来していることはあまりにも有名である。
 なお、日本でのやおい本用語でも攻め、受け、なる言葉が使われているが、矢追とは無関係である。
しかし、カップリングを意味する記号「×」は、元々矢追競技において大会にエントリーする際、
「攻 劉備×張飛 受」という表記をしていたことに由来する、という説もある。

民明書房刊「ザ・スポ根~血の汗流せ 涙を拭くな~」より

No.129    >>1乙

依稚御都(いちおつ)

三国時代、呉には依稚(いち)と言う大工がいた。
ある時、大将軍・陸遜の命令で依稚が作った州麗(すれ)という町を見た呉皇帝・孫権は感嘆のあまり
「御都(おつ。長安のこと)のようだ」
と漏らしたという
そのことから、素晴らしい物を作り上げた者に対して依稚御都と声をかけるようになった
一時は絶滅しかけた風習であったが、現代日本のネット上で「>>1乙」という形になって蘇ってきている

民明書房「ねぎらいの言葉百選」より抜粋

No.130    テラワロス

寺話呂須(てらわろす)

中国は戦国時代の話。
世は麻の様に乱れ、民衆の中には貧しさの余り山賊に身をやつす者も多かったという。
そんな世を憂いた呂須という一人の高僧は、事あるごとに貧しい民衆を寺に招いて
食事を与え仏の教えを説き、殺生や盗みを働く者たちを改心させることに努めた。
呂須は学問の心得のない者達にもわかりやすいように、仏の教えをを面白おかしく話したため
たいそう評判がよく、遠くの国からも呂須の面白い説話を聞きたいと寺を訪れる者もあったという。

そして呂須が亡くなった後も彼の名は人々の記憶に受け継がれ、面白い出来事があるたび
「まるで寺で話をしているときの呂須のようだ」と言うようになったという。
現代においても、ひときわ面白い話に対して人々が「寺話呂須、寺話呂須」と賞賛を与えるのは
このエピソードに由来するのは言うまでもない。


(民明書房刊「笑いの科学・応用編」より抜粋)

No.131    今だ1000get!

今田煎月湯(いまだせんげっと)

江戸時代中期、水戸藩の名医であった今田氏によって開発された秘薬。
月見草を煎じて飲むことからついた名前だが、詳しい製法は未だ謎である。
万病に効くとされ、当時の人々は我先にと煎月湯を買い求めたが、原料と
なる月見草の確保が難しく、また製法が特殊なため、1年で1000人分しか
生産できなかったと言われる。
今田氏は多くの人々に平等に薬が行き渡るようにと、台帳を用意し記名した千人に
薬を販売することにした。
台帳の前には多くの人が並び、特に台帳の記名数が900を超える頃には、皆我先にと
「今田煎月湯ー!」と叫びながら台帳へ押しかけ、負傷者が多数出たという。
このように台帳への記入が命がけだったことから、1000人目に書き込んだ者は
人々の尊敬と羨望の的となったのである。

現代においても、インターネットの掲示板に1000番目に書き込むことが重要視され、
「今だ1000ゲットー!」と1000番目の争奪戦が繰り広げられているのは、この習慣
が形を変え受け継がれている証拠といえるだろう。

民名書房刊「日本人はなぜ限定品に弱いのか」より

No.132    ルパン三世

流藩鑽井(るぱんさんせい)

春秋戦国時代、流藩(るぱん)と呼ばれ特定の土地に定住せず各国を流浪する旅芸人
の一族があった。その彼らがある国に立ち寄ったとき、誰も住まない荒れた土地に
定住したいと領主に願い出た。住む者もいないのだから、と領主は快く定住を許可
した。その後ほどなくして、流藩たちが井戸を掘り当てたとの知らせが領主の耳に
入ると、領主は「流藩鑽井(流れ者が井戸を掘った)」と言って後悔したという。
この故事から、思いがけず現れて大儲けするものを「流藩鑽井」と呼ぶようになった。

現代日本にルパン三世という大泥棒が活躍する人気漫画が存在するが、不思議な一致
であるという他ないであろう。

なお、流藩の歌舞の中で「流藩大舞(るぱんだいぶ)」と呼ばれる大技は、空中高く
跳躍して衣装を脱ぎ捨てる、現代で言う早変りに似たものであったと伝えられている。

民明書房刊「中国舞術大全」より抜粋

No.133    オンラインカジノ

温裸淫寡寺乃(おんらいんかじの)

明代中国の商人・金梨訓は、大変な働き者で有名で、一年で二年分働くと言われた。
彼はたちまちに成功を収め、25歳にして大旦那と呼ばれる身分になった。
しかし彼は事業の拡大にあたり、温裸淫寡寺乃(おんらいんかじの)という、一種の風俗業に手を染めたため、
当局に目を付けられ、最終的にお取り潰しとなった。
この時金梨訓は、「真自出汚主須迷(まじでおすすめ)」(意:自分がこのような汚れた主人となったのは、須らく迷いから来るものだ)
という詩を残し、出家して僧となった。

余談ではあるが、現代において去年から始めたにも関わらず二年で財を貯めた者が、
マジでお勧めしてくる現象がしばしば見られるが、
これはこの金梨訓の戒めを現代に伝えようとするものであろう。

民明書房刊「時を超越する25歳」より

No.134    ビルメン

『美流面(びるめん)』
明朝末期、政治の腐敗により世は大きく乱れていた。
町は犯罪者やならず者の巣窟と化していた。
しかし、次第にその者たちの中で真っ当な職を探すものが出始めた。
彼等は町の至る所にある人間や家畜の糞便を集め、肥料として売ることを思い付いた。
朝廷は素手で糞便を集めることが出来る彼等を見て驚き、この仕事を強く推奨した。
良質の糞便を見分ける能力を身に付けた者の中には、富豪や貴族に雇われる者もいたという。
しかし、彼等は元々ならず者でありその風貌は醜く、知的レベルも低かった。
そのため、上流階級の人間たちは彼らが自分たちと同じ屋敷にいることを非常に嫌った。
そこで屋敷に地下室を造り、必要以外はその部屋から出ることを堅く禁じた。
また、彼等は糞便の汚れを川で洗う際に、汚れと共に人間の美しさも流していると嘲笑された。
そのため、美しさを流してしまった面々という意味で美流面と呼ばれていた。
現代日本において、ビルのメンテナンスを生業とする者をビルメンと呼ぶが、
これはビルメンテナンスの略語ではない事は賢明な読者の推察の通りである。

( 民明書房刊 「美しさを捨てた美しき職業 糞便手掴み美流面」 より )

No.135    タンヤオ

嘆 夜嗚(たん やお)

万里の長城が築かれる数百年前、都において奇怪な遊びが流行した。
直方体の石に様々な模様を彫り、それらを組み合わせることにより
その芸術性を競い合うものであった。後に麻雀と呼ばれることとなるこの
競技を当時は、「魔味暗(まあじあん)」と呼んでいた。

組み合わせは幾通り、いや、幾千ともあったが、その中で最も美しいと
言われる組み合わせは「厄万」と言われ、これを作ってしまうと幾万もの
厄が憑り付くと言われ、外見とは裏腹にその存在は忌み嫌われていた。

ある時、都で一番冷血な表情とされている男が、あと少しでこの「厄万」を
完成しようとしていたが、厄に憑かれるのがイヤなその男は、
「ああ、この厄に憑かれてしまっては、夜な夜な田舎に残してきた母を思い
 大声で悲鳴を上げてしまうであろう。」と思い、芸術性を捨て、自分を殺し
「嘆・・・夜・・・・・・鳴」と、喉から搾り出すかの如く、その声を出した。

見た目は芸術的なその組み合わせ、模様ではあったが、自分のためのみ
ならず母を思うその心は全ての人々に感動を与え、大陸全土にその名を
知らしめることとなったのである。

なお、現在のルールにおけるタンヤオはもっとも安い1翻役であるが、これは
厄万と正反対の位置を意味することであるというのは、意外と知られていない。

          (民明書房刊「超・頭勘~論より証拠を見せたげる!」より)

No.136    カイン

「なにー、また裏切るとは!」
「ぬぅ、この竜騎士の行動は…」

夏殷(かいん)

「夏」「殷」ともに中国古代の王朝名だが、
「裏切りを繰り返す者」という意味で用いられる成語でもある。

中国最古の王朝といわれる夏。その最後の王である桀は暴虐で、
これに対して商(殷)王朝の創始者となる湯王が立ち上がった。
湯王の家来に隆貴支(りゅうきし)という武将がいたが
戦いの序盤に夏に寝返り、しばらくすると湯王側に戻ってきた。
しかし程なくして再び裏切り、戦いの終盤になってから湯王側に落ち着いたのである。
この戦で夏は滅び商王朝が興るわけだが、その際に隆貴支は戦乱時の軽率な行動を咎められ
反省の意を込めて山篭りしたという。
後に商が殷と呼ばれる頃には、人々は隆貴支の行為を元に裏切りを重ねる者を指して
「夏殷(夏と殷を渡り歩いたの意)」と呼ぶようになった。

余談だがあるゲームに、裏切りを繰り返すカインというキャラクターが登場するが、
それは夏殷に由来していることは言うまでもない。

民明書房刊「裏切りの戦乱史」より

No.137    スプー

朱楓(すぷう)
明の国に俳傳賞子(はいだしょうこ)という大層美しい女性がいた。
彼女はただ美しいだけではなく、教養もあり、舞も歌にも才能があった。
また、その優しさから子供からの人気も高かったと言われている。

だが、彼女はたった一つ苦手なところがある。それは、絵画の才能が悲しいほどに無いのだ。
彼女が母山塔市省(かさんといっしょう)という郡に巡礼に来たとき、その郡の守り神といわれてる朱楓(すぷう)
(参考→http://www.hiroiro.com/images/supu_gucyoko.gif)
を歌に乗せて描いたが、描いた絵の余りの禍々しさに見学者一同を卒倒させたと言われている。
明代の歴史書には見学者が卒倒した理由は、余りの歌の美しさに失神したからと言われているが、
本当は、描いた絵の禍々しさが原因だったというのは紛れも無い真実である。

俳傳の一族は、その後の戦乱で散り散りになってしまったが、その一部が日本へと渡ってきたとされている。
その決定的証拠をお見せしよう→http://www.youtube.com/watch?v=R-fjqo3dNhg&eurl=

みんめい子供書房刊「よいこのための中国史その3」より抜粋

No.138    ミノフスキー

美濃府鍬(みのふすき)

室町時代初期から美濃国(現在の岐阜県南部)の首府において堀・土塁等の建設のために考案された、
特異な形状の農具。

戦国時代に入ってから、合戦でしばしば利用された。屈強な男数百人が美濃府鍬で乾燥した地面を
猛烈なスピードで掘り起こして小型の砂嵐を発生させ、弓・鉄砲隊の視界を攪乱したのち、接近戦に持ち込むというものである。
1479年の一年合戦で特に多用されたが、天候・風向き・地質などの条件が整わないと使えないため、
後の公式記録にはほとんど残っていない。

「ガンダム」シリーズにおいて電磁波を攪乱するミノフスキー粒子なる設定があり、
宇宙世紀の戦闘でモビルスーツによる接近戦が主流となった根拠とされているが、これが美濃府鍬に語源を得ているのは明らかである。
日本史に造詣の深い富野監督ならではと言えよう。

民明書房刊「戦国武将怪策奇策」より

No.139    ヤフー

爺夫(やふう)

秦朝末期。中国大陸は始皇帝の暴政により大きく乱れていた。
各地で反乱が起こり、それに乗じて天下に名を残さんと意気盛んな若者が立志を夢見た。
しかし、情報伝達技術がまだ確立されていなく、真偽が入り乱れた情報が飛び交った。
この状況に目を付けた孫(そん)という若者は中国各地から若者を雇っては地方に赴任させた。
これにより中国全土の情報を手中に収めた孫は中国全土に名を馳せた。
孫は情報を必要とする人間に対して無償でこれを提供し、毎日多くの者が孫の元を訪れた。
しかし、中国全土の情報は膨大であり、それを整理する作業は並大抵ではない。
また、孫の派閥が巨大になり過ぎたため末端まで命令が行き届かなくなり、トラブルが多発した。
やがて民衆の中には孫に反対する派閥や、孫より多くの情報を有する派閥も現れた。
孫は30歳を過ぎる頃からストレスで頭髪が抜け始め、相貌は実年齢と大きく離れて見えた。
やがて、巷では爺夫(やふう:孫の外見は爺、実年齢は夫)と孫を揶揄する言葉が囁かれた。

現代において大手検索プロバイダのyahooの代表の孫正義は爺夫の孫の子孫と言う説がある。
真偽は定かではないが、これほど一致する事実は奇妙と言うほかない。

民明書房「古代中国の情報伝達 ~爺夫は禿げていた!!~」

No.140    メメタァ

女眼多蛙(めめたあ)

主に、中国大陸の南方に位置する序南山(じょなさん)に生息するカエル。

大した移動手段のなかった昔、広い広い中国大陸をマッピングする事は容易ではなかった。
そこで、時の暴帝・禰御(でいお)は、中国大陸の地図を完成させたものに、王家に代々伝わる秘宝、石仮面を与えるとおふれを出し、中国全土から冒険者を募った。
そして、初屡省に住む農民・津栄舳李(つえぺ・りー)は、真っ先に故郷を飛び出し、地図の作成を始めたのだった。

それから数年後、津栄舳李は中国大陸の南方にて、地図作成の作業を行っていた。
その際、彼は序南山にて奇妙なカエルを発見した。と言うのは、体中まるで人間の眼のような模様に覆われており、その模様一つ一つが、可憐な女性のように美しく整った眼の形をしているのだ。

津栄舳李は大層驚き、「女性の眼が沢山ついたカエル…。これからはあのカエルを女眼多蛙と呼ぶことにしよう」と言った。それが、女眼多蛙のが起源である。。

なお、津栄舳李は地図を完成させることなく病により倒れたが、その後も地図を完成させる者はおらず、
時の将軍の夏逗(かず)とその仲間、琶武(わむ)・栄司弟幟(えしでし)の三人が反乱を起こしたため、禰御は倒れ、結局、石仮面が国民の手に渡ることは無かった。

なお、現代の漫画家、荒木飛呂彦氏の作品「ジョジョの奇妙な冒険」中に出てくる、カエルを殴った際の擬音「メメタァ」は、冒険者津栄舳李に敬意を払ったものであり、
重要なキャラクターである「ウィル・A・ツェペリ」の名前の由来は、海外のバンド「レッドツェッペリン」と言われていたが、実は津栄舳李ではないかと専門家の間で噂になっている。


(民明書房刊「古代中国の冒険者~黄金の精神を持つ男達~」より抜粋)

No.141    極楽の山本

雷電「しかし、后宮楽夜魔孟豚・・・まさか奴は、あの悲劇を再現しようと言うのか!?」

后宮楽夜魔孟豚(ごくらくやまもうとん)

古代中国のある王朝で、王がまだ年若い娘を娶った。この若き后に、王の近衛兵であった孟という男は
良からぬ劣情を抱き、策を弄して後宮に入り込み、こともあろうか后に猥褻行為を働いたのである。
この事件が明るみに出た後、王は「わが后の宮でお楽しみとは、夜魔のごとき孟、この豚めが!」と
声を荒げ、一刀のもとに切り伏せたという。

余談ではあるが、この「宮」というのは子宮、つまり女陰を意味していたという解釈もある。

この時に孟を切り捨てた刀というのが、あまりの切れ味に斬られたものを凍りつかせ、霜を与える刀
与霜刀(よしもとう)と呼ばれる伝家の宝刀であったと噂されている。

この後、近衛兵の団長を勤めていた欣茶武(きん・ちゃむ)は、孟の行いに責任を感じて団長職の
辞任を申し出たが、周囲の軍師らは「悪しき者は孟であり、欣将軍に責は無し」と辞任の撤回を
求めたという。

先日から世間を騒がせている、極楽とんぼ・山本の猥褻事件、吉本興業による一刀両断の解雇措置、
欽ちゃん球団の解散騒動という一連の動きが、この后宮楽夜魔孟豚事件と奇妙な符号を見せるのは
ただの偶然なのだろうか、それとも・・・

民明書房・刊 『事件の陰に潜んだ男女の話・あることないこと編』より。

No.142    シャウエッセン

蒋悦千(しょうえつせん)
元の時代、南宋は現在の桂林の辺りに蒋悦千(しょうえつせん)なる賤民がいた。
之は病に伏す母を持ち、裏山に自国へ貢ぐ為の一頭の家畜(豚)を飼って暮らしていたと言う。
或る時、悦千は其の母がもうそれ以上存えない事を理解した。
悦千は老い先短い母に最後だけでも素晴らしい食を与えてやりたいと強く思った。
されど悦千には余る金銭も無く、貢物の豚を裁く以外に仕方なかった。
悦千は母に与えた残りだけでも国に貢ぐ為に、豚を余すことなく用い、なおかつ保存の利く料理を作ろうとした。
そこで悦千は豚の肉及び内臓等を細かく挽き、それを豚の腸に詰め保存が利くように加工した。
そして之を蒸して母に与えたところ非常に喜んで食し、間もなく亡くなった。

さて、それから4ヶ月ほど後であろうか、悦千から貢物を回収するために役人がやってきた。
悦千は家畜を処理して之を食とした事を詫び、保存食とした物を代わりに渡した。
役人は怒ったものの事情を飲み込んでそれを受け取り帰っていった。
しかししばらく後、悦千は貢物を納めなかったという罪で国を追われる事となった。
之は試しに貢物を食した役人が、その旨さに感動し全て食い尽くしてしまった為である。
不条理にも国から追い出された悦千は、西夏をさらに西へ行き、山々を越えて放浪した。
そして何番目かの山を登ったとき、悦千は豚飼いのヨーロッパ系の家族に出会った。
かつての豚飼いに共通の何かを感じたのだろうか、彼らは東から来た旅人を厚くもてなしてくれた。
悦千は之に感謝し、お返しに豚の保存食の作り方を教え、またどこかへ去った。

その後の悦千の行方を知るものはいないが、保存食の作り方はその後広く広まった。
人は悦千に敬意を表し此の食品に「シャウエッセン(蒋悦千)ソーセージ」と名づけた。
「ソーセージ」とは "so sage" すなわち「すごい賢人」の意である。
そう、これが昨今スーパー等で売られているシャウエッセンソーセージの起こりなのだ。
現在まで食卓の第一線を飾り続ける食品を生み出した立役者悦千は、
間違いなく歴史を知る人間たちから惜しみない賞賛を受ける対象の一人であろう。

( 民明書房刊 「世界の食卓を作った偉人たち」 より )

No.143    当て字

雷電「むう、これはまさしく唖躰示。まさか現代にまで受け継がれていようとは!」

唖躰示(あていじ)
古代中国の拳法家が好んだ言葉に、「漢は拳で語るもの」というものがあるが、これはまさにそれを
体現化した修行法である。

修行者は一切口を閉ざして、己の肉体のみを使って相手に言葉を伝えなければならない。もちろん
拳法家の行うことであるから、人文字によるジェスチュアなどでは話にならず、素手で地面を殴って
窪ませたり、剣や槍の先端で岩に文字を刻んだりした。

しかし達人になってくると、普通どおりに文字を並べるだけでは技量を存分に見せることができない
ため、読みが同じでも画数の多い文字を敢えて選ぶようになった。

いわゆる「当て字」は、この「唖躰示」が元になったことは想像に難くない。また現代でも暴走族などが
当て字のメッセージを好むのは、己の技量をみせつけようとした達人たちにあやかった行動であると
主張する学者も多い。

民明書房・刊「戦い、そして語るシス」より抜粋。

No.144    YouTube

遊鋳部(ゆうちゅうぶ)
唐代の中国にて、シルクロード交易によってもたらされた海外の芸術品などを模倣し、閲覧用として製作する部署のことである。
国家非公認の組織であり、度々査察によって製作物を没収・廃棄されるが、されたそばから再び作られ、飾られていく。
国民にとっては、安い値段で海外の芸術品を見られるのは得なため、国家は禁止することまではできなかったようだ。

民明書房刊「いまさら人には聞けない電脳与太話百選」より抜粋

No.145    ガチムチ

【我知無知(がちむち)】

古代ギリシャの哲学者、ソクラテスは恐妻家として有名であった。事あるごとに暴力を振るわれ、
夜の営みなどもっての他だった。そこでソクラテスは哲学の勉強会の時、容貌の美しい青年を
品定めしては男色に耽り、欲望を解消していた。「行為の中で行う議論は発展的である」と彼は
弟子たちに語っていた。この頃から、アテネでは男色スポットの隠語として「発展場」が使われ始めた。
また、ソクラテスはプラトンとの行為の最中に「無知の知」の境地に至ったと言われている。
「私が何者であるかは知らないが、無知であることは知っている」
この有名な言葉は、中国で「我知無知」と漢訳され、日本にも広まった。
最近日本で、ガチムチ兄貴を求める同性愛者が続出しているのは、荒んだ社会を生きていくために
哲学的な心を持った兄貴的存在を探しているからかもしれない。

民明書房刊『一緒に哲学極めようぜ!』より

No.146    オロナミンC

愚難民恣意(おろなみんしい)

三国時代、魏の国に、残忍で知られる厳溌・厳剌(げんはつ・げんらつ)という兄弟の将軍がいた。
彼らは国境の守備に就いていたが、ある時戦乱によって自国に流れてきた多量の難民が起こした暴動に対して、
兵を出して皆殺しにして鎮圧した。
かろうじて生き残った難民は鬼のような厳兄弟を憎み、また恐れ、「厳鬼溌剌(げんきはつらつ)!」と叫んで抗議の声を上げた。
それに対して厳兄弟は「愚難民恣意(愚かな難民は恣意的であり、勝手気ままに動くから手に負えない)」と、うそぶき取り合わなかった。
この後、厳兄弟は悪と不幸の主であるとして「悪不幸主(おふこうす)」と呼ばれたという。

現在でも、「げんきはつらつ!」という掛け声に対して「おふこうす!」「おろなみんしい」などという言葉を返すCMがあるが、
それはこの故事の名残である。

(民明書房刊「大村昆はどこへいった」より)

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